オシリス | ||
_イシス_ | ホルス | ネフティス |
セト |
「4」は、土、水、空気、火の4つの元素(エレメント)を意味しているだろう。宇宙はこの4つの元素によって作られ、同時におのおの黄、青、緑、赤とに相応している。 四大は、また循環し、黄、青、緑、赤というふうに円を描いて回っている。これらはキリスト教的秘義のなかにも見いだせる。
中世のものとしては、魂についてのヤコブ・ベーメの著作のなかに、きわめて興味深いマンダラが見いだされる。そこには、つよいキリスト教的傾向をおびた心理的宇宙の体系が取り上げられている。ベーメはそれを「哲学的な目」とか「英知の鏡」などと呼んでいる。が、これらの言葉は明らかに、秘密にされた知識の全体を意味している。多くの場合、マンダラ図形は、4という数に向う。4という、はっきりとした傾向を示す花とか、十字とか、輪の形などで示される例が多い。(これはピタゴラス派が基本とみなした「4つのもの」(テトラクチュス)を思い出させる。
「このような4という数に向かうマンダラは、プエブロ・インディアンが儀式のために用いる砂絵にも見いだされる。アメリカインディアンの織物も4つの構成と色分けを伝統的にもっている。だが、もっとも美しいマンダラはやはり東洋、とりわけチベット仏教だ。われわれの書物に見られる象徴は、これらのマンダラのなかに示されている。わたしは精神病患者の場合にも、また右にのべたような関連について全く何も知らない人々の場合にも、彼らがマンダラを描くことに見いだしたのであった。」(ユング/黄金の華の秘密より)
○四色の定理
4・・・という数字は完全なものを作り上げる最小のユニットである。地球上の全生物、ミジンコのような下等生命から人間までが、すべて4つの塩基からなるDNAをもつこともひとつの大発見だろう。また、いわゆる四色の定理も今世紀の大発見といえる。
四色で地図が塗り分けられることは、ドイツの地図の製作者が経験的に知っていたことだった。さしたる問題でもなさそうだが、これを数学的に証明することはできなかった。この定理が成り立つか成り立たないのか、4色問題は数百年の数学上の難問として存在していたのである。「四色の定理」とは、どんな描かれかたをした地図であっても、すべての隣り合う境界をどれひとつとして同じ色にしてはならない。そうした条件で、四色もって塗り分けることができるか? ・・・・という問題だった。1976年、ケネス・アッペルとウルフガング・ハーケンはたった4色の色彩で十分であることをついに証明した。彼らはイリノイ大学の大型コンピュータを、約1200時間稼働させたすえにやっと成功したのである。この情報は20世紀の大発見として世界中に報道された。
ユングはマンダラの図形が、キリスト教世界ばかりでなく世界に散見されていることに大きな驚きをもった。なおかつ、東洋のマンダラについてその存在すら知らない患者が不思議とマンダラによく似た絵を描くことに気づいた。ユングのこの研究以来、その後の精神科の医師は、たびたび患者がマンダラ図形描くことに遭遇していること、その頻度がきわめて高いことに驚嘆することになったのだ。
さて、キリスト教のトリニテリアン派(唯一神しか認めないのはユニテリアン派)の三位一体を、ユングも錬金術や、キリスト教神秘思想に正統な解釈以外に見いだそうとした。しかし、むしろユングは古代ギリシャのグノーシス主義にその哲学的背景を見いだそうとした。が、残念ながらグノーシスの思想は文献的にすくなく、本質的な内容がすっかり色褪せてしまっていた。ユングは革新的な思想との出会いに行きづまっていた。そうした悩みのさなか、リヒアルト・ヴィルへルムが「黄金の華の秘密」というテキストをユングにもたらした。ユングは自己の内奥と共鳴する力強い思想に感動したのである。彼は東洋の神秘思想を興奮をもって迎えた。彼の見た内奥のマンダラに理論的支柱をもたらしたものは「太乙金華宗旨」と、「彗命教」であった。
太乙金華宗旨の「太乙」とは、源初の、一なる神、「金華」とは天上の光を意味している。万物の創造はひとりなる神であることと、源初の一なる天上の光は同じである。そして、「止観」の一法を説いている。神の天上の光とはロゴスと一致すると彼は考えた。ヴィルヘルムは「太乙金華宗旨」すなわち金丹教は景教(唐代の中国で栄えたネストリウス派のキリスト教)によく似ているといわれている。
金丹教の教えは呂厳が祖師で西暦755年に生まれ、タオと儒教と仏教、あるいはゾロアスター教をも取り込んだ混合的内容で、そのどれにも属さず、またそのどれにも文献的、思想的に影響された内容をもち、文字どおりに丹田に黄金の光を練る暝想(止観)に重点があった。
これを見るということは簡単に言えば、マンダラを見ることにほかならないとユングは考えた。太乙金華宗旨では神仏の光を見るということがきわめてリアルなことに気付かされる。禅の只管座臥とも違い、「観」に目的と重きがあり、光を内に止めて、ひたすら見ようとする。
○金丹教はゾロアスター教の影響が残る
さて、ペルシャの2原論、光と闇の戦い、「拝火教」(ゾロアスター教)は光の宗教が代名詞であるが、光輪のことを「クワルナフ」といい、大地を支配する者は神から賦与されると信じられていた。光は神を起源とし地上の火は天上の光に相応し、その火はゾロアスターの手のうえにあって、彼の手に決して火傷を負わせなかったといわれている。
弥勒菩薩はミトラ神に他ならないといわれている。ミトラ神はイランでは、アフラ・マズダの同盟者として伝わり、弥勒(ミロク)とは、ミトラの発音が変成したものだ。(毘沙門天の説もある)
四天王が背負う火炎はゾロアスターの聖火崇拝から来ているとも言われる。遠くイランに仏教の淵源を求めることはロマンであるだけではない。たとえば「胡」とは、中近東からの産物の名称に多くつけれれている。伝来した野菜として、にんにくもそのひとつだ。(東亜文化史叢考・石田幹之助)
また、ゾロアスターの呪文はマンスラ(アヴェスタ語)といい、インドのマントラ(サンスクリット語)にあたる。21字からなるアフナ・ワルヤというマンスラは悪魔を無力にするという。「華厳経」には42字門があり、大品般若にも42文字の功徳がとかれている。竜樹は「大智度論」で、42文字は一切字の根本であり、この42文字以外何らの字なしと言っている。(金岡秀友・密教の哲学)
21文字は古代ペルシャの偉大なマンスラであったが、インドでは42文字のマントラとなっている。光と闇の2原論は源流をゾロアスターに求めることができ、グノーシスのなかに、また、インドのヒンズータントラに濃密に影響を与えている。
金丹教はイラン・ペルシャの思想、ゾロアスターの枝葉である。
「道教」、その中でも、異質な小さな宗派であり、光を重視する「金丹教」がユングを磁石のように引き付けたのである。
ユング自身がマンダラを知る以前に霊能力者であったことは、ユングの私的出版した「死者との7つの語らい」に明らかだが、彼の内的体験をした図形が、後に見ることになったいわゆる東洋のマンダラに似ていたことが彼のおおきな精神的支えとなった。こうして、ユングは文化圏に左右されない根底的なイメージ(形)が世界中にあることに、喜びと驚きをもった。彼は、図形的自己が人類に普遍的なものだということ確信した。
「太乙金華宗旨」はユングに東洋思想を目覚めさせ、オリエントへの関心をヨーロッパに高めるのに大いに貢献した。マンダラは神秘学に関心のあるヨーロッパの人びとを磁石のように引き付ける閃光であった。
参考文献/「黄金の華の秘密」(人文書院)
○大宇宙と小宇宙
四次元の球は超立体で、球のなかに球を簡単に取り込む。この根本会のような形をひとつの単位、五智如来の構図ということができると、ハイブリトなホログラム構造をとる。ホログラムは、物体の干渉パターンを写真乾板に保存して、その乾板の一部分だけから物体の3次元像を再構成する仕組みで、ホログラムの一点は物体全体に関する情報が詰まっている。ここから出たホロムーブメントは、あたかも古代インド哲学が蘇えったようだった。フリッチョフ・カプラがタオ自然学で、あらゆる物質は巨大なコズミック・コンシャスネス(宇宙意識)の一部であり、われわれは宇宙と一体であると述べたのも、こうした背景があった。つまり、シャーリー・マックレーンが言う、わたしは宇宙であり、わたしは神であるというのは単なる自己陶酔ではない。
かりに、モナドという概念を紹介しよう。
モナドとは、「草木の茂る野、または母なる都市であって、聖域を意味し、父なる神のひとつの閃光であり、神の息子と同一であるともいう。神の息子、すなわち原人はここに四本の支柱を持つ台座があって、その壇上に座していて、四福音書の四位一体の指し示すもの」と、その概念を説明している。(ユングとオカルト秋山さと子著)
「モナド」という言葉はワーグナーと同時代のライプニッツがモナドロジーという論文を書いてことで知られている。
「これからお話するモナド(単子)とは、複合体をつくっている、単一な実体のことである。単一とは部分がないという意味である。複合体がある以上、単一な実体はかならずある。複合体は単一の集まり、つまり集合にほかならないからである。」
・・・・、との書き出しではじまるモナド論は、ハイブリトなクローン構造となんらの違いがない。すべては、一なるマンダラのパンテオンにたいへん近いではないか。
ライプニッツはモナドの観念を物理学的に構築し、すぐれた哲学を残した。また、ソクラテス以前の偉大な哲学者、デモクリトスが物質を構成する単位を原子(アトム)とよんだ。また、ジョルダーノ・ブルーノが霊を構成する単位を「モナド」と名付けた。これらは、みな物質とエネルギーのような目に見えない次元に踏み込まざるをえない概念だ。
「霊と万物の原子」、すなわち、マンダラはアトムとも、モナドとも近似の概念だ。4大や「五智如来」(主尊と4なる光芒)の円環の図形は、実は、こうしたさまざまな呼ばれ方をした「単位」の概念を直接表したものといえる。神智学、はモナドを分身霊あるいは神の子という概念でとらえている。また、古代エジプトでは、モナドは「久遠なる人」、「神の生命の一片」、「神の象に似せて作られた神の子」、「聖火の火花」などと言われている。エジプト人はモナドを「隠れる神」と呼んだ。また、モナドは「われわれの裏なる神」、「われわれの個なる神」、「われわれの真我」、「久遠なるものの一片」、「人間の裏なる唯一の久遠の我」と説明される。(神智学第四巻二十三章魂とモナド)
モナド(マンダラ)は、こうして神の被創造物たる人間の構造であり、神仏の絶対的あらわれであるロゴスと実は場を同じくしている。リヒアルト・ヴィルヘルムは「人間は、あらゆる点において小さい宇宙(小天地)なのである。したがって人間の内面的な性質も・・・儒家のいうように・・・「天」に由来するか、あるいは道家が表現しているように、「道」の現象形態であることになる。人間は、その現象形態においては多様な個々人として展開するが、そのそれぞれの内部に、中心となる一者(モナド)が生命原理として含まれてる。このモナドは生命原理の根本のようなものである。
この単一なるモナドは個の真我でり、かつて生きた人間と現在生存する人間の数だけあり、神の1つの霊光によって永遠に生かされている。はじめのロゴス(法界)は総てのモナド(真我)の存在をあらしめ、それ無くしてはすべてのモナドはありえない。ロゴスは単一にして、かつ集合的、包括的な無数のモナドを包む大パンテオンの世界になる。
仏教タントラではブラフマン(創造神)とアートマン(真我)と呼ばれ、この合一を体験することをサマジー(三昧耶)・・・暝想の極致という。「観無量壽経」や「華厳経」あるに途方もない表現、たとえば、顕れる五百億の宮殿とか、十万のあらゆる仏国とか六十億の七宝の蓮華とか五百億の宝楼閣とか、八万四千のひかりとか・・・あるのも、実は、このような世界をマンダラは構造的に多重に内包しており、すべて1つのロゴス(絶対的あらわれ)につつまれる(その中にある)という、1にして、多、多にして1の世界を構築する。それは4次元以降の球体のなかで考えるときわめて自然な受け止め方ができる。無数の次元を内包する振動場すなわち光(智恵または意識と不可分)によって構成されている絶対的、永久の存在のなかには個々の人間の意識(SPIRIT)が化身(モナド)となって内包される。それは、中心の波動によって生かされている。 マンダラは、どこでまで行っても単一の世界に包含される。孫悟空が天上で大暴れし、天の果てに行ったつもりが実はお釈迦さまの手のなかであった話は、そうした寓意をふくむ。
さて、西洋の神秘集団の「薔薇十字団」にも同義の言葉がある。「霊刻文字の単子」(モナス・フィエログリフイカ)といい、単にモナスと言われている。モナスは薔薇十字の神聖な霊のシンボルである。この単一のロゴスに自己の本質(モナド)が帰属すると知ることが、「不死」であり「輪廻転生」を断ち切ることなるという。
紀元前500年ヘラクレイトスというギリシャの哲人がロゴスについて語ったことが知られている。
つぎにヘラクレイトスの述べたとされる断片句を紹介しよう。
(1)「このロゴスはつねにあるのだが、聞く前にも一度それを聞いたあとでも、人々はそれに無理解である。万物のロゴスにそくして生起するのに、彼らはそれを経験せぬかのようだ。わたしが、それらのおのおののものをその成り立ちのそくして区切りつつ、それがどうあるかを述べて、物語るのところの、そうしたことばをも、おこないをも経験しているというのに。なのに、ほかの人たちは、目覚めておこなうところのことが何であるのか気がつかない。ちょうど眠っておこなうところのことを忘れているのと同じように」。
(2) 「わたしにでなくロゴスに聞いて、万物が一つだと同意するのが、智というものだ」。
(3) 「万物から一が、一から万物が」。
(4)「この宇宙は神々や人間たちの誰かが作ったというものでなく、つねにあったし、あるし、あるだろう。永遠にいきるものとしての火(1なるアルケー)だ」。
すべてのことがロゴスにしたがって生起する。言葉、思惟、理性、理念とかいう日常的な語彙を越え、ロゴスはすでにあったし、あるし、あるだろうものなのだ。ロゴスは、始めから”一般の経験を越えた概念”なのである。
アルケー(火)もまた、一なるものとして定義される。こうした属性を考えれば、ロゴスとは聖なるマンダラと同一なものだ。そして聖典ではロゴスの訳語が”ことば”であるために、日常に即した意味にとられがちである。しかし、ロゴスを日常の言葉に堕してしまうと、はじめから哲学になりえないのである。
さて、ヘラクレイトスでは、ロゴス、アルケーそして、たたかい、この3つがキーワードだといわれている。
冷たいものが熱くなり、熱いものが冷たくなる。湿ったものが乾き、乾いたものが潤う。
もし太陽がなかったなら、夜があっただろう。
こうしたパラドクス的な断片句は、ロゴスの内在する正反合を述べたものである。でなければ、あたりまえの文となってしまう。「たたかい」、または、ヘラクエイトスはまた好んで使った言葉に、「反対物の一致」 がある。 これは、おのおの正反対のものを真ん中でかたく結びつけいる霊力、つまり三位一体の真理を述べたものだろう。
ヨハネによる福音書は、「初めに言葉があった」ではじまる。
ここで、ちょっとゲームをしてみよう。
「初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、これによらないものはなかった。その言葉に命があった。そして、この命は人の光であった。」 日本聖書協会訳
上の節をを読んだあと、つぎに”言葉”という文字を””ロゴス”と上書してみよう。なぜなら、”言葉”とはロゴスの日本訳だからだ。
「初めにロゴスがあった。ロゴスは神とともにあった。ロゴスは神であった。すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、これによらないものはなかった。そのロゴスに命があった。そして、この命はイエスキリストの光であった。」
つぎに、マンダラに置き換えてみよう。
初めにマンダラがあった。マンダラは仏とともにあった。マンダラは仏であった。すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、これによらないものはなかった。そのマンダラに命があった。そして、この命はマハー・バイローチャナの光であった。
「括弧の中を適当な語でうめよ」、読者もよく知っているとテストの問い方だ。初めに言葉があった、という言葉を空白の括弧にして、その答えを問うのである。
つまり、「 」のなかは、何かの指示語であるので、ロゴスやマンダラに置換してみると少しも矛盾がなく、しかも分かりやすい。不思議なことに、初めに一つからうまれたとする、その指示語は非日常的な語句のほうがむしろ混乱しない。
「神秘なもの」でも、「火」でも、「聖なるもの」でもいい。たがいに理解し合えるなら、「あれ」でも「これ」でもいい。
初めに”あれ”があった。”あれ”は神とともにあった。”あれ”は神であった。すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、これによらないものはなかった。その”あれ”に命があった。そして、この命は神の光であった。
ちょっとマジッカルなようだが、”あれ”とすると、いったいどこの宗教の聖典なのかにわからなくなる。
”あれ”でも、その意味が分かる人には分かる。
さらに、読者に分かってもらいたいのは、もうひとつこういうことなのだ。
なぜ、こんな置換法をしたかというと、聖典の解釈を字義通り絶対的に解釈することがすべて正しいとは限らないということ、そして、備わった智力で読むことのほうが大切だ・・・・・と、いうこと。
また、置換法は指示語の意味を浮かび上がらせるテクニック(学問的手法)として有効だろうということだ。
ソクラテスのいうハデスもまた、誤解なくよめば単一のロゴスを意味する。
「個々の快楽や苦痛が、まるで釘でも秘めているかのように、魂(プシケー)を肉体に釘づけにし、押えつけて、肉体の言うことなら何でも真であると見なすよう魂を肉体に同化させる、という意味でだ。なぜなら、魂が肉体と同じことを考え、同じものを喜ぶならば、魂は、思うに、必然的に肉体と同じ習慣、同じ糧をもつようになって、けっして浄らかな状態でハデスにいたることができず、つねに肉体によって汚されたまま世を去り、そうして、すぐにまた他の肉体に入り(生まれ変わり)、ちょうど種子が播かれたようにそこに根をおろして、その結果は、神的で清浄で単一な形をもつものとの共存は永久に奪われるであろうからだ。」 プラトン・パイドン=魂について(世界の名著ー中央公論社刊)
下線Aは、ソクラテスが輪廻転生を明らかに認めている文章である。そして、下線Bでは、神との共存が輪廻を断ち切ることだと述べている。これは、仏教が本来、「二度と生まれ変わらない」ための教えであることと同じである。なんのために宗教的修行が必要なのか・・・という問いにたいして、明確な答えと言うのは、「転生を二度と繰り返えしたくない」、そのためにあるのである。成仏とは、ほんらいそういうことなのだ。即ち、輪廻を断ち切ることが修行なのだ。ソクラテスの言っていることと、仏教の根底思想とは、どこも違わない。
一般的には、ハデスは、単にあの世というとらえかたでしかない。しかし、神的で清浄で単一なる形のものとはなんだろう。そして、清浄で単一なる形をもつものとの共存、とは? 単一なる形を説明すれば、それはロゴスであり、マンダラに他ならない。清浄で単一なる形との共存に至るには、肉体がすべてと思っている人間には、不可能なことだ。魂は肉体の感覚器官に食い尽くされて、あたかも牢獄にある。しかし、単一なる形は、それらに冒されることがない。この道理は、ゴータマのいう「アーラヤ(五欲)にとらわれているものには悟りがたい」と、まさしく共通する。ハデスといっても、たとえそれをダンマ(ダルマ)と言い換えても、また「真理」といってもいい、それらは、もともと同じものだ。実は、ダンマを悟るために五欲から遠ざかることと、ソクラテスの説いたカタルシス(浄化)は同義である。
「魂の解放こそ、哲学の仕事だ。」・・・単一なる形に至るためには自己が本来備えるべき秩序があり、ソクラテスは友愛と思慮節制(徳)こそ追求すべきだといった。魂の解放とは、輪廻を断ち切ること、それは”清浄で単一なる形”なるものとの合一によって成就する。
「死とは、ぼくの考えるところによれば、魂と肉体という2つのものが互いに分離しあうということなのであって、それ以外のなにものでもない。そこで、この2つのものがたがいに分離したのちには、両者のどちらも、その人間が生きていたとき持っていたのとほとんど変わらぬ自己の状態を、それぞれそのまま保持しているわけだ。」・・・と。
肉体は魂の乗り船であり、死は肉体との分離にすぎない。
紀元前400年に既にソクラテスが語った真理はいまもまったく正しい。それらは、否定できないことだ。死の霊的意味を観念論としたのは、そののちの評論家(解釈者)があまりにも霊的に貧困だったからに違いない。こうした死が何なのか、そして、死後のプロセスについてもソクラテスは語っている。
人間は死後、生前の行為はすべてそのまま保持し、その性状はまったく変わらない。清浄なる単一なるものとの共存は人間の悪のままではけっして入ることができない。その間、人間は何度も生まれ、死なねばならない。この肉に囚われた想念は悪であり、そこから離れることを浄化(カタルシス)と彼は言う。
「哲学とは死ぬこととみつけたり」・・・ソクラテスによれば、人間はカタルシス(浄化)を実践することで輪廻を断ち切る。ソクラテスの言う死ぬこととは、カタルシスの完成という意味である。哲学とは、文字どおり”死ぬ”ことではない。
○マンダラと普遍性
マンダラの原理は普遍的なものでそこには人種や言語、歴史や文明を超えた存在だ。そこでこのことを、もっと探求する必要がある。密教は根本的に一神教であり、かつ複合的に多神的性格をもっている。ダンマ(真理)に接近しこれと合一する(即身成仏)ことを目的にした、究極的な高度で、深い暝想のはてに、浄化がある。その、密教の暝想も、実はカタルシス(浄化)と無縁ではない。ヨーガもマンダラが神的秩序であり、それとの合一に自己の暴れ馬であるカルマを統御しようとする。こうした大悟へのステップを経て、そのイメージは自己自身だと知ることができるようになる。マンダラが自己の本性のイメージであることは、一つのステージの発見である。マンダラとは暝想の極致だが、まったき秩序と平等な精妙な単一の「形」あるものである。ユングが東洋のマンダラを知らなかった時に自己の心像としてマンダラを見たという体験をもつことはすでに述べた。それは肉眼で見たわけではない。つまり、図画によってではなく、内的な心像を見たことになるのだ。キリスト教的であるか、仏教的であるかは、このさい無関係といえる。この光の実像は入神体験した者によって語ら
れる以外は、みずから知るしかない。
キリスト者、パウロは次のように語った。
「わたしはキリストにあるひとりの人を知っている。この人は14年前に第3天にまで引き上げられた。それが、からだのままであったか、わたしは知らない。からだをはなれてであったか、それも知らない。神がご存じである。この人が、それが、からだのままであったか、からだを離れてであったか、わたしは知らない。神がご存じである。 パラダイスに引き上げられ、そして口に言い表わせない、人間が語ってはならない言葉を聞いたのを、わたしは知っている。」(コリント人への第2の手紙ー12章)
パウロはヘブル人への手紙では「神は、御使たちを風(Air)とし、ご自分に仕える者たちを炎(Fire)とされる」と言っている。神は仕えるものに理性と勇気をあたえる。
今世紀の最大の聖者サンダー・ジンクは、その著、「人はみな神に帰る」で、霊的体験を得て次のように述べている。
「人は自分の魂を創造したのでもなく、またそれを破壊することもできない。創り主はどの生けるものも、みなある特別の目的を持って存在させるにいたったのであり、人は自分の魂と自分のうちにある「神与の火花」を消滅させることはできないし、神もそれをなさらないであろうから、いつの時か人間が造られたところの目的は確実に満たされるであろう。そして、終わりには、多くのさまよえる者、わき道にはいったものであってさえも、彼らが似せて造られた形でありたもうお方のもとにかえっていくであろう。それというものも、これらが彼らの最後の目的地であるから。ジセラーはこの「神与の火花」についていっている、「この火花は魂といっしょにすべての人の中に造られ、彼らにとっては明らかな光であり、罪に対してあらゆる方法で闘い、確実に徳行へと押し進め、絶えずその起こった源泉に押し戻す」。
サンダー・ジンクは熱烈なるキリスト教徒であり、かつキリストと霊交した体験者であると言われている。彼のいう神与の火花、似せて造られた形という言葉は、モナドあるいはマンダラをおいてみると分かりやすい。それは霊眼と霊耳が開かれたゆえに、語ることのできる、あのものなのだ。
「主がその選ばれた3人の弟子たちを、山の頂上につれてゆかれたのは、ただ休息するためばかりではなかった。そこにおいて彼らは、主の神性の栄光の本体を、ちらりとでも見ることができるであろうからである。彼らの主との日常の接触は、その啓示のための準備でしかなかった。
彼らは主の奇跡を見、まだかつて誰も話したことのない驚くべき言葉を聞いた。
しかし、それよりもさらに必要だったことは、彼らが崇敬と驚嘆の心をもって、そこに止まることであった。彼らが、その多事多端な日々を離れ、人里離れた静かなところで、主の神聖なる人格の超絶的な栄光について、静かに思いめぐらすことは非常に必要なことであった。
また一方、主の地上の姿の変貌は、それだけでは十分ではなかった。
彼らの目も開かれることもまた必要であった。
それというのも霊眼の開かれることなしには、彼らはキリストのみ顔をみることもできなかったであろうし、モーセとエリヤが彼らと共にいたことに気づかなかったであろう。
同じように彼らの耳も開かれていなければならなかった。
それというのも開かれた耳がなくては、彼らは、「主がなしとげようとされるその最後」について聞くことができなかったであろうし、また「これに聞け」とおっしゃる神ご自身の声さえも聞くことができなかったであろう。」 ルカ9・28ー36
この出来事は鮮明な霊交であった。サンダー・ジンクは、「暝想のなかで、神はわたしたちのこころにかたられる。それは言語によってではないが、・・・」と、述べている。
キリスト教も仏教も超越的な接神体験ではじめて力強い神への賛美と帰依を語りかけるのだ。こうして、私たちは心的清浄と暝想が、霊的能力を高め、自己の魂(プシケー)を単一な形のなかに見いだすのだ・・・と、を知ることができよう。
○想像力は目にみえないものを見させる
ハワイのフラダンスは、もともと神に奉げれていた神舞であった。フラの巫女には、女神ペレのマナ(霊力)が感応してくる。ハワイ語でマナとはスピリチャル・パワーのことだという。そこで、もともとフラは神霊との交流の儀式であった。
始めに、詔(みことなり)や、リズムと歌で、神々しい雰囲気と聖なる場を整える。「真如」の導入である。
次に、フラのダンサーは、そのリズムで踊りながら陶酔し、やがて「没我」となる。そこに、神霊が「感応」する。恍惚が踊り手を支配する。すると、神からの返答が現れ、「天恵」が現象化する。こうしたプロセスをもつ古代儀式は、世界中に普遍的にある。ダンスがそもそも交霊術であることを示してくれる明確な例はスーフィのダンス、鎌倉時代に起きた一遍の「踊念仏」などが上げられよう。不乱の舞は、「没我」に至るには欠かせなかったのだろう。
古代的な交霊は、表面的にしか物事を見ない人々には理解できない。エンタテインメント化されたショウとしてのフラよりも、マナ(スピリチャル・パワー)と一体になったフラは偉大で神聖である。ハワイ島では、古代と同じ”のり”で女神ペレへの感謝のフラが、今でも行われている。これが奇跡なのだろう。
なんであれ、音楽とダンスとは一体であり、それは神楽(かぐら)だった。日本の祭の神輿(みこし)の”のり”が、それなのだろうか。洸惚感、あの陶酔感は、御輿(御神体)を担ぐことによって、はじめて感じることができる。神輿を担ぐことは、スピリチャル・ダンスだった。真の芸能には、「真如」「天応」「没我」「天恵」の4つのプロセスが必ず組み込まれている。だからこそ喜びと生きる力を与えていた。現代では、真のイベントは少なく、その一部か、残り物だけとなってしまっている。それは、大音響のロックの陶酔感とはあきらかに違うものである。
<第八章完>
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