神智主義とシンボル 本文へジャンプ
超マンダラ論 復刻版
黒澤一功の
精神世界にようこそ
  「卑弥呼Xファイル」の著者がおくる至福の書:
Symbols are language that can help us understand our past.」、シンボルは言語であり、過去を理解する助けとなる (ダビンチ・コードより)。


神とは・・・超絶の数秘学

『私はアルファでありオメガである。』

神は0であり9である。
神は0と9を結合する母体(マトリックス)である。陰陽中と置き換えることができる。
0と9はON・OFFを繰り返す振動であり、球体である。仏教では空という。ゼロと比べてみよう。空はゼロではなく、無限の有産性を持つ。神界は(3)・(6)・(9=0)が素である。3は陽であり、6は陰である。陰陽の一体が(9=0)である。エデンの東とは(9=0)であり、仏教では永遠の生を知ることであり、また悟りという。   
0と9の合一は3456の4つのエレメントを派生し、この4つのエレメントは物質を構成する。正四面体は物質の素である。色彩ではマゼンダ・黄・緑・青である。聖書では4つの生き物という。

2=「lion/獅子」が獅子を、マゼンダー
4=「ox/牛」が、牡牛を、 黄
5=「man /人」が水瓶を、  緑
6=「Eagle/鷲」が蠍(さそり)、青

 「四つの生きもの」は隠された語彙で旧約聖書に共通している。ソクラテスのミクロコスモス(プシケー)が「秩序」と訳されるのもこれである。ギリシャ語聖書のプネウマも、メルカバもみな神の代名詞となる暗黙の規則語である。ゆえに、4つの連鎖であるDNAを持つ生物はみな神の子である。

Cf.「ヨハネの黙示録」(1章8節、21章6節、22章13節) に、主の言葉「私はアルファであり、オメガである」(コイネーギリシャ語: τὸ α καὶ τὸ ω; 英語: I am the Alpha and the Omega)
プネウマとはギリシャ語で光輪という原義だった
ギリシャ語の聖書で書かれていたプネウマという言葉が、英語圏ではスピリットと訳された。それが、日本語訳では聖霊と訳されることになった。聖霊というと、皆さんはどんなイメージをもたれますか?
 もともと、プネウマという言葉の意味は、「閃光」という意味でした。神のエイコーン(光に隠された像)なのです。
 このイエスが持っているお皿に描かれたシンボルはなんでしょうか。
また頭上に描かれた正十字はいったい何でしょうか。
わたしは、これを西洋マンダラと呼びます。れっきとした幾何学的な具象的な形があるのです。これが神の本体(Spirit of God)であるとしたら、あなたは、それを信じられますか?

仏足跡に描かれる車輪は天のメルカバだ。
仏足跡《ぶっそくせき》に描かれる車輪のような図形は「千輻輪《せんぷくりん》」と呼ばれています。
蓮華の珠網、輪宝、卍、蓮華の珠網、回る手摺などとも型式がよく似ています。
これは、中国では金華、カッバラでいうメルカバ、ヨーロッパでは薔薇十字団のシンボルと同じで、普遍的な形状です。これらは仏教のダンマ、聖書のロゴス、ソクラテスのハデス、ライプニッツのモナドなど、すべて同じものなのです。なぜか「光る十字の車輪」として現れますが、聖人によって呼び方が異なるだけです。

内なるマンダラ
「それ、仏法遥かに非ず、心中にして、即ち近し。真如、他に非ず、身を棄てて、いずくにか求めん。迷悟、我に在れば、発心すれば、即ち至る。」

弘法大師の『般若心経秘鍵』のお言葉ですが、真如とは月輪のことで曼荼羅を指します。マンダラがある以上、だれでも悟りの境地に到達できるということです。菩提心は「一切衆生悉有仏性」(涅槃経)とあるように誰にも備わっており、「世尊よ、われあまねく知り得たり、わが自心を見るに、月輪のごとし」(金剛頂経)とあり、月輪が「無碍光」に当たり、心中に求めるものです。