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第十三章.......「O-wheel の謎 Ⅱ」



.〇...エゼキエル書 Part2


10 「As for the likeness of their faces,they four had the face of a man, and the face of a lion,on the right side; they four had the face of an ox on the left side; they four had also had the face of an eagle.」 



As for the wheels, it was cried unto them in my hearing O wheel. {Ezekiel 10-13}




○オー・ウィールはどのような位置にあるか  


まず、「人の顔」と「ししの顔」が、オポジションの関係にある。「人の顔」が左に、「ししの顔」が右ということになる。 

同様に、左に「牛の顔」、右に「わしの顔」はオポジション。

四つのいきものは、おのおの?方に 「人の顔」をもっていた。
四つのいきものは、おのおの右方に[ししの顔]をもっていた。 
四つのいきものは、おのおの左方の方に、[牛の顔]をもち、
又四つのいきものは、?方に、[わしの顔]をもっていた。 

不明な点をは隠された占星術で開くことができる。

「人の顔」=(緑)=水瓶宮=北
「ししの顔」=(赤)=獅子宮=南
「牛の顔」=(黄)=牡牛宮=東
「鷲の顔」=(青)=さそり宮=西

 水瓶座は冬、そして、獅子座は夏であるから、占星術の天宮図の季節配当と一致してくる。さらに、色彩の配当も、補色の関係で、整合性がでてくる。 

 占星学には3区分(Qualities)がある。その区分の中間点、つまり安定期にある正座にこの4つの星座は入ることになる。結論としては、それらは十字の位置にあるということになる。

牡牛座、
獅子座、
蠍座、
水瓶座は固定(不動)星座といわれる。

黄経〇度(春分点)ら牡羊座、
九〇度の蟹座、
一八〇度の天秤座、
二七〇度の山羊座の四星座を基本星といい、

双子座、乙女座、射手座、魚座を変異星という。

さらに2区分という区別は男性星座と女性星座に大別する。

男性星座に獅子座と水瓶座が入り、女性星座に牡牛座とさそり座が入る。

占星学では向かいあう星座は男性星座と男性星座、女性星座と女性星座になる。
縦軸に獅子座(+)と水瓶座(+)、横軸に牡牛座(-)とさそり座(-)と並ぶ。

季節に配当すると、うし座は春、獅子座は夏、わし座は秋、人の顔が冬である。



○翼がケルビムを包む

26 「And under the firmament were their wings straight, the one toward the other: every one had two,which covered on this side,and every one had two,which covered on that side,their bodies] 23節 


ここにいう「one]は互いに連結したした一組の「翼」(two)となって、「bodies」を「this side」を覆い、「that side]と、覆っている。
このあたりから、西洋の絵画で天使は翼(つばさ)をもつようになったらしい。


○「顔」は回転したり止まったりする


 「行くときには、回らずに・・・」の、「行くとき」とは英訳で「go every one straight]とあり、「行くとき」と「turnt=回る」とを使い分けている。
動きにはもう一つ、「when the living creatures were lifted up from the earth・・・・・」、というように、中心に引き上げられるという動きがある。つまり、球では膨張の動き、と回転の動きになる。Liftという動詞に注目してほしい。物をを持ち上げる行為につかう動詞である。


○輪は独特の形をしている


10ー8「And there appeared in the form of a man’s hands under their wings.

10-9「And when I looked,behold the four wheels by the cherubims,one wheel by one cherub,and another wheel by another cherub: and appearance of the wheel as the colour of a beryl stone.」

「ケルビムはその翼の下に人の手のような形のものをもっているように見えた。わたしが見ていると、見よ、ケルビムのかたわらに、4つの輪があり、ひとつの輪はひとりのケルブのかたわらに、他の輪は他のケルブのかたわらにあった。」 

ケルビムはケルブのなかに4つあり、ケルブも4つある。それぞれ、マンダラのように収まっている。輪は琥珀のように輝いている。
創世記では、「命の木にいたる通を守るために、エデンの園の東にケルビムときらめ焔の剣をおかれた」・・・とある。私以外にも焔の剣を金剛杵に相当するという考えは、すでにあり、「神話のイメージ」 (大修館書店/1991)ジョゼフ・キャンベル著のなかに、に見いだすことができる。

10ー14 「And erery one had four faces;the first face was the face of the cherub,and the second face was the face of a man,and the third face of a lion ,and the fourth the face of an eagle.」

「ケルブ」「cherub」とは、「輪」を指している。

第一番目のケルブ「うし」、ここでは単にケルブ
第二番目のケルブは人、
第三番目のケルブ獅子、
第四番目のケルブ鷲、


13 As for the likeness of the living crreatures, their appearance was like burning coals of fire, and like the appearance of lamps: it went up and down among the living cratures; and the fire was bright, and out of the fire went forth lightning.

[13] この生きもののうちには燃える炭の火(Lamps)のようなものがあり、たいまつのように、生きものの中を行き来している。火は輝いて、その火から、いなずまが出ていた。

この炭の火は、玉座のまわり行き来する火であり7つある。ここでは、七という数はでてこないが、ヨハネも黙示録には7つの灯火としてでてくる。この7つのランプというキャスターは、北斗マンダラ図と符合する。中央の根本会のまわりに北斗七星を描いたマンダラである。
「燃える炭の火」は、四つの生きもののなかにある。石炭が燃えているようだとその光る状態を言っている。「lamps」(ランプ)だ。これが、いままでのものと独立したものでることは「among]と、「up and down」で分かる。球体と球体の間、つまり空間を行き来する。これは「lamps]特有の動きである。 

 「lamps]、これはいままで出てきたものとは別な存在である。これを私は、そのまま「ランプ」という。「たいまつ」では少し現実の火と同じようになってイメージが合わない。「生きもの」の空間を、この奇妙な火のように明るく、輝く光体を前方に放出している「ランプ」があり、上がったり下がったりしているとエゼキエルはいっている。なぜ、「空間」かというと、日本語では「この生きもののうちに」と書かれているが、このままだと、あたかも「生きもの」のなかに「ランプ」が行き来しているように思えてしまうが、英文では「among the living creatures]と書かれているのでその意味を正確に解釈すると生きものと生きものの間ということになる。すなわち、「空間」ということだ。 行き来する動きは英語では「up and down]であり、天と地の間を(中心と外側の方向に)動いていることが分かる。
 いったい、どんな役目を持つのかは手がかりがない。エゼキエルはいくつの「ランプ」があるのか書いていない。しかし、複数であり、7つあるとわたしはみている。 
ヨハネの黙示録の第四章で、「また七つのともしびが、御座の前で燃えていた。これは神の七つの霊である。」とあり、ヨハネが「ランプ」と同じことを言っていると推測できる。ユダヤの人々は7という数字を完全数と考えている。ヨハネは「神の7つの霊」といっているだけで、その意義は明かではない。

「And out of the throne proceededl lightnings and thunderings and voices: and there were seven lamps of fire burning before the throne,which are the seven Spirits of God.」 ヨハネの黙示録4ー5

 神の7つの霊が、神の玉座の前で燃えていた。 「神の御使い」とも取れる。「lamps]は空間を自由に往来できる神の霊であるとされている。その動きは制約がないようだ。 ところで、球体の空間を自由に動くらしいこの「lamps]は乗り物を連想させる。
北斗七星の7星も信仰されている。 文殊菩薩は獅子に乗り、帝釈天は象、月天は鵝鳥、閻魔王は牛というふうにおのおの神聖な動物に乗っているが、「ランプ」は諸天善神に転じているのではないだろうか。 ところで、「and the fire bright,and the fire went forth lightning」は、このランプが前方に炎を出しながら、光りを発している様を描写している。


14 And the living cratures run and returned as the appearance of a flash of lightning.

[14]生きものは、いなずまのひらめきのように速く行き来していた。

ここで、「生きもの」は、[ run and return」という動き方をする。必ずしも一方通行ではないことが分かる。驚くことに行きつ戻りつという動き方をするらしい。「生きもの」はまた、右にも左にも、回転する。 さて、どのぐらいの速さでとなると、もう目にも止まらぬぐらい速い。
[apearance of flash of lightning]つまり、光のフラッシュのように速い。光速のように速く回転する。回転するときは光速で、止まったり、速度を緩めたり、右にも左にも回転する。こんなことが分かってきた。



15 Now as I beheld the living creatures, behold one wheel upon the earth by the living creatures, with his four faces.

[15] 「わたしが生きものを見ていると、生きもののかたわら、地の上に輪があった。四つの生きもののおのおのに、一つずつのの輪である。

4つの生きもの」を見ていると、生きもののかたわら、地のうえに輪があった。」 「輪」とは、英訳で「wheel」だ。[wheel]とは、まさに車輪と訳される。「地のうえ」とは、幕面をさす。輪は透明なガラスの表面のようで、水晶のような色彩をもっており、この幕を地とする。「地」とは大外の1珠つまり球の幕面を指す。これは、華厳経でいっている「大蓮華の珠網」だ。平面的には大円のなかに小円を4つを描いてみる、また、さらにその中に円を4つ書いてみる。こうして4つの円を書くとこれが、マンダラ図形と似通っていることが理解されてくる。つまり、一つの生き物の輪には4つの輪が取り巻いているという。



16 The appearance of the wheels and their work was like unto the colour of a beryl; and they four had one likeness: and their appearance and their work was as it were wheel in the middle of a wheel.

[16]もろもろの輪の形と作りは、光る貴かんらん石のようである。四つのものは同じ形で、その作りは、あたかも、輪の中に輪があるようである。

まず、その幕は光る黄緑色(color of beryl;)をしている。次に、形は4つとも同じである。
「4つのものは同じ形で、その作りは、あたかも、輪の中に輪があるようである」

「輪」はうず構造の輪郭を作る。いわば、球のなかの球ということだろう。輪の中に輪があるように見えるということはこうして理解されよう。その輪は神の玉座にもあり、雲に出る虹と称される。ヨハネは天幕を「水晶に似たガラスの海」のようだといっている。水晶は透明かやや紫色をしているから、玉座は透明かやや紫色の幕に覆われているのだ。

英文では、「輪のなかに」ということを次のようになる。
「and their work was as it were a wheel in the middle of a wheel」

「within」、「middle of」などの使い方をやや注意深くみる必要がある。



17 When they went, they went upon their four side; and they turned not when they went.

[17]その行く時、彼らは四方のいずれかに行き、行く時は回らない。


その行く時、彼らは四方のいずれかへ行き、行く時は回らない。 ここでいっている彼らとは、「生きもの」のことで、ケルブが動くとき、それ以下の4つの輪は静止している。また4つの「輪」もケルブと一体になってつねに動く。そのとき、4つの輪は回転せず、4つの固定された位置にある。



18 As for their rings, they were so high that they were dreadful; and their rings were full of eyes round about them four.

[18]四つの輪には輪縁とやとがあり、その輪縁の周囲は目をもって満たされていた。

四つの輪には輪ぶちとやとがあり、その輪ぶちの周囲は目をもって満たされていた。 今度は、[rings]という単語使われている。「指輪」も 「ring」 だ。

[wheel]は「四つの生きもの」に、
[ring]は別なものであろう。 

輪の位置は、「upon the earth」で示し、「by thelivinng creatures.」で、生きものの傍にあるわけだが、輪と幕面は接触している。[on]には接触してという内意がある。

 この輪は、「光る貴かんらん石」のようである、と言っているので大体、黄緑色をしている。 英文では「colour of a beryl」、と書かれている。berylとは緑柱石またはエメラルド(すい玉)のことである。透明な緑のようである。日本聖書教会の口語聖書は「貴かんらん石」と訳されている。「生きもの霊」が行くとき「輪」も行く、「生きもの霊」があげられるとき「輪」もあがる、それぞれの「生きもの霊」と一体に動いていることを表している。 

この球体のまわりを取り巻く輪とは違うものがまだあり、それは、「bow」で、3条の「Rings」である。土星(惑星)の輪は、ちょうど、表面がバウムクーヘンのようだ。このような輪が取り巻いている。土星の輪のことを「Ring」と呼んでいる。この、(土星のような輪はあとで出てくるが、中心球体(神の玉座)の周りにもあって、その輪は、格別に「虹」と言っており、ここでの輪は「bow」(弓)という単語が使われる。つまり、雲は球体の表面、神の玉座を指すので、球体の外側に[bow」が「round about」取り巻いているようになる。 「wheel」は輪であり、ときに「地」に該当する。天は中心に相応する。
「球体」に3条の「虹」を取り巻くと神の御座の見え方になる。
すると「創世記」に「雲のなかに虹をおく」
「わたしが雲を地のうえに起すとき」などの表現がリアルな意味をもってくる。
色彩の美しいイメージがでてくる。創世記でも「bow」が虹を顕わす単語としてつかわれている。


3条の虹が球体をどのように取り巻くだろうか?もっとも美しい取り巻き方は、レオナルド・ダビンチの描いたあの図のような人の姿にならないだろうか。土星の輪を見たことがあるだろうか。あのような輪が3本あるというわけだ。


19 And when the living creatures went, the wheels went by them: and when the living creatures were lifted up from the erath, the wheels were lifted up.

[19] 生きものが行くときには、その輪もかたわらに行き、生きものが地からあがる時は、輪もあがる。

ケルブと4つの輪は一体となって移動する樣を表している。



20 Whithersoever the spirit was to go, they went, thither was their was their spirit to go; and the wheels were lifted up over against them: for the spirit of the living crature was in the wheels.

[20]霊の行くところには彼ら(輪)も行き、輪は彼らに伴ってあがる(中心に引き上げられる)。
生きものの霊が輪の中にあるからである。

20ケルブが中央に引き上げられるとき、4つの輪はⅩのような位置に静止したまま、ケルブと一体になって移動する。なぜかというと、面白いことにケルブの霊は、4つの輪のなかにあるといっている。



21 When those went,these went ;and when those stood,these stood:and when thosewere lifted up from the earth,the wheels were lifted up over them: for the spirit of the living creature was in the  wheels.

 霊の行くところには彼らも行き、輪は彼らに伴ってあがる。生きものの霊が輪の中にあるからである。彼らが行くときは、これらも行き彼らがとどまるときは、これらもとどまり、彼らが地からあがる時は、輪もまたこれらと共にあがる。生きものの霊が輪の中にあるからである。それぞれの輪は一体となって、整然と連動しているらしい。

「雲」の表現のいずれも照応する。「霊の行くところには彼らも行き」という霊「the spirit]とは、「輪」なかに(in the wheel)にあるといっている。「生きもの」の霊は4つの輪にあり、それゆえに一体であるというわけだ。4つの輪はマンダラでいう4如来となるだろう。

エゼキエルは「生きものの霊」が輪の中に(in)あるからであると言っている。「輪」には、霊的な源泉を持っていることが示している。
 
「霊が輪のなかにある」 は説明を加えると、「in the wheel]で、輪のなかにということになる。「霊」をもち、御座と一体に動いている。



○神の御座(成身会)に迫る 


22 And the likeness of the firmament upon the heads of the living creature was as the colour of the terrible crystal, stretched forth over their heads above.]

22 「生きものの頭の上に水晶のように輝く大空の形があって彼らの頭の上に広がっている。 

大空と訳されているが、どうも天幕と訳したほうが理解しやすい。私はTabenacle(テント)と同じと解する。
この天幕は水晶に似たガラスの海のように見える。球体の表面は水晶のガラス(a sea of glass like unto crystal: )のようだ。 X球体は輝く水晶のようで、途方もなく明るく光っている。紫水晶ととることもできる。「terrible crystal」の、「terrible」は「ものすごい」といった強調語。そして、聖書では、人の子が雲にのってくるという表現がよくあり、雲の中心がこの玉座となるだろう。

23[And under the firmament were their wings straight,the one toward the other:every one had two,which covered on this side,and every one had two,which covered on that side,their bodies.]

 この水晶のガラスのなか、つまりx球体のなかにも翼があり、たがいに相連なり、生きものはおのおの二つの翼をもって、からだをおおっている。 
 主の御座もまた、そのおのおのはこちらの側を二つの「翼」で覆い、そのおのおのはあちら側を二つの「翼」でからだを覆っていた。6節の解釈と同じに6つの翼がある。6節と23節はまったく同じことを言っていると看ていいだろう。



○全能者の声とは何か  

24[And when they went,I heard the noise of their wings,as the noice of great waters,as the voice of the Almighty,the voice of speech,as the noise of an host:when they stood,they let down their wings.] 

25[And there was a voice from the firmament that was over their heads,when they stood and had let down their wings.]

 その行く時、わたしは大水の声、全能者の声のような翼の音を聞いた。その声の響きは大軍の声のような翼のノイズのようで、そのとどまる時は翼をたれる(蓮の花弁が開く)。また、彼らの頭の上の大空から声があった。彼らが立ちとどまる時は翼をおろした。 

「I heard]と書かれ、わたしは「聞い」たといっている。正確には、「Noise of great waters]と記され、まさに洪水の音を言っているので声ではない。むしろサウンドというべきだろう。 これが全能者の声であり、まさしく「AUM」のほんとうの響きであろう。

これは、「翼」が振動する(回る)「羽音」の響きだ。平たく言うと「翼」がゴーゴーと唸りをあげているというのだ。蓮華は閉じたり、開いたり、鳥の羽のように動き、そしてうなるようなノイズをたてながら振動している。

声は「voice」である。英文では「noise]と書かれている。
その[noise]が、あたかも、全能者の声と、大軍の轟音のようだったと言っている。

「その行くとき」とは、ここでは回るとき、このような翼の「noise]を聞いたのだということだ。 「そして、彼らが立ち止まる時は翼をたれる。」
「let down]とあり、「低くする。下げる。おろす。沈める。速度をゆるめる。」等が和訳になる。
生きものが動くとき、輪も動き、翼は高くあげられる。蓮の花にたとえれば、花弁はつぼんだ状態。ケルビムが止まるとき、花弁は開くような樣だろう。 

(1)稲妻のように回る
(2)速度を緩める
(3)止まる
(4)膨張する
(5)縮小する

といった動きをすることが動詞から知ることができる。そして、大事なことはどちらの方向にも回る。

全能者の [VOICE]、声がするとき、彼らはスピードを落とし止まる。すると、轟音のような羽音も静まり、花が開いたように翼は垂れる。聖マンダラはこうした動きをする。 



 ○エゼキエルの見た神の御座


 「彼らの頭の上の大空の上に、サファイアのような位(Throneー玉座)の形があった。」

神の御座の発光色はサファイアと書かれている。「緑色」の光を放っていたと読める。「大空」が「水晶」のようで、中心は透明な緑色をしている。「またその位の形の上に、人の姿のような形があった。」その、緑と見えるなかに、また、翼(結界)が見える。

ヨハネの第4章に、「緑玉のような虹が現われていた」とある。

人の姿が玉座のその球体にも現われている。 
「位の形の」とは、[throne]つまり、「玉座」であり、X球体に再び「人の姿」のような外観がある。

image of a man 

 エゼキエルは「man]、人の外観を見た。さらに、「その腰と見える所」・・・(1)に火の形のような光る青銅の色のものが、これを囲んでいるのを見た。「人の姿」の中心部(腰)に琥珀色で、火のように光りるものを見ている。「amber」とは、琥珀。その色は、薄黄色。古来、聖なるものは金で装飾される。
黄金は単にそのすぐれた物理的特性だけで装飾に利用されているわけではない。



3本の虹と6つのつばさの位置
   人の姿とはこの図をいう

 

 

 「腰と見えるところの上の方」・・・(2)にはさらに炎(fire)のように光るものが囲んでいる。上の方とは、人の姿から類推すると頭の方になる。

「その腰と見える見える下のほうに」・・・(3) にも、また「火のようなものを見た」とエゼキエルは言っている。こうして、中心の球体には3本の連結した「rings」がある。これを三本の虹が取りまくと言い表す。
<神の玉座,には、3つの炎のような光体/にじが輝いている。





○にじの謎

 創世記には、神は「4つの生きもの」と契約し、永遠に滅ぼすことをしないといっている。創世記の第9章第10説である。ここでは、神がそこに、にじがどんな意味をもつのか神がノア述べている。 ノアが、洪水が引いたのち方舟をでる。そして、祭壇を建てたとき神の声がノアに臨む。

 「またあなたがたと共にいるすべての生き物(1)、あなたがたと共にいる鳥(2)、家畜(3)、地のすべての獣(4)、すなわち、すべて方舟からでたものは、地のすべての獣(4)にいたるまで、わたしはそれと契約を立てよう。
*(1)~(4)は4つの生き物、または4つの獣に相当する。霊をもつ4つの輪のことである。

 わたしがあなたがたと立てるこの契約により、すべて肉なるものは、もはや洪水によって滅ぼされることはなく、また地を滅ぼす洪水は再び起こらないであろう。」 

さらに神は言われた、 「これはわたしと、あなたがた及びあなたがたと共にいるすべての生き物との間に代々余よ限りなく、わたしが立てるの契約のしるしである。 すなわち、わたしは雲の中に、にじを置く。これがわたしと地との間の契約のしるしとなる。わたしが雲を地の上に起こすとき、にじは雲の中に現われる。 こうして、わたしは、わたしとあなたがた、及びすべて肉なる者を滅ぼす洪水とはならない。にじが雲の中に現われるとき、わたしはこれを見て、神が地上にあるすべて肉なるあらゆる生き物との間に立てた永遠の契約を思いおこすであろう。」

そして神はノアに言われた。 「これがわたしと地にあるすべて肉なるものとの間に、わたしが立てた契約のしるしである。」 

虹は神の永遠の契約のしるしで、命の霊を意味している。

 ○ヨハネの黙示録  第四章 



The Revelation of Saint John Devine chapter 4



 ヨハネの黙示録は新約聖書では異色の福音書である。 およそ、紀元1世紀ごろ使徒ヨハネによって書かれたと信じられている。この書の神秘的な性格ゆえにローマのカイウスという司祭はグノーシス派のケリントスという人の作と見做した経緯がある。しかし、一般に使徒のヨハネの作であると信じられている。ローマのユスティヌスは、紀元155年の「トリュフォンとの対話」で、「わたしたちのところに、キリストの使徒のひとりで、ヨハネという人がおり、この人が預言し、キリストを信じるものはエルサレムにおいて1千年生きる」と記された文献がある。
また、2世紀ごろ、「御主の弟子であるヨハネが黙示録のなかに・・・・を書いた」、とリヨンの司教イレナエウスが書いているという。
ユスティヌスもイレナエウスもエフェソに住み、黙示録の著者を使徒ヨハネとすると、使徒ヨハネが長い間、エフェソに住んでいたと伝えられていることと符合する。黙示録の著者はキリストの弟子であるヨハネであるとみて間違いがない。ヨハネの福音書は、他の福音書に比べて神秘的かつ神学的である。また、当時、ローマ帝国の迫害のもとであったので、95年ごろに書かれた秘密文書の性格をもち、神秘的な比喩をたくさんもちいている。3世紀に入って聖書を合理的に解釈する方法を採用しはじめた頃からヨハネの黙示録はその神秘的な霊的性格から、教会で読まれる聖典からはずされてしまった。
ヨハネの黙示録は、360年頃のラオデキヤの大会議以来100年間は聖典の座にはなかった。黙示録が古来、聖書の解釈上の困難性ゆえに正統なキリスト教の教典として疑問をもたれたのだ。新約聖書はメシアであるキリストにおいて、全人類に対して新しい契約を結んだとするが、そういた意味ではヨハネの黙示録はイエス・キリストのメシアであることを明確に位置付けている。コイネーギリシャ語は当時、地中海世界共通語であったが、新約聖書はすべてコイネー・ギリシャ語で書かれた。 

以下、第4章に限って英語版と訳文を紹介する。  



ヨハネの黙示録 第4章


1;[After this I looked,and, behold,a door was opened in heaven: and the first voice which I heard was as it were of a trumpet talking with me; which said,Come up hither,and I will shew thee things which must be hereafter.

2;And immediately I was in spirit: and ,behold, throne was set in heaven,and one sat on the throne.

1: その後、わたしが見ていると、見よ、開いた門が天にあった。そして、さきにラッパのような声でわたしに呼びかけるのを聞いた初めの声が、「ここに上がってきなさい。そうしたら、これから後に起こるべきことを、見せてあげよう」と言った。

2:すると、、たちまち、わたしは御霊に感じた。見よ、御座が天に設けられており、その御座にいますかたがあった。



3:And he that sat was to look upon likea jasper and a sardine stone:and there was a rainbow round about the throne, insight like unto an emerald. 

3:  その御座にいますかたは、碧玉や赤めのうのように見え、また、御座のまわりには、緑玉のように見えるにじが現われていた。

4:And round about the throne were  fourand twenty seats:and upon the seats Isaw four and twenty elders sitting,clothed in white raiment ; and they had ontheir heads crowns of gold.

4:また、御座のまわりには、24の座があって、24人の長老が白い衣を身にまとい、頭に金の冠をかぶって、それらの座についていた。 ここでは、日本訳が「four and twenty seats」の「four」を落としている。4と20の長老の座と書かれたという事を記憶しておく必要がある。神の玉座を中心に、そのまわりに、まず4のフィールドがあり、さらにその周囲に20のフィールドが取り巻いている。長老とはケルブとケルビムであろう。


5:And out of the throne proceeded lightnings and thunderings and voices; and there were seven lamps of fire burning before the throne, which are the sevenSprits of God. 

5:御座からは、いなずまと、もろもろの声と、雷鳴とが、発していた。また、7つのともし火が、御座の前で燃えていた。これらは、神の7つの霊である。 「lamps」はエゼキエルでふれたとおり、神の玉座のまわりで「up and down」する、燃えるような火に見えることは、すでに知っている。7つのともしびとは「lamps」のことだ。それが、7つあるというのはこの5節で初めてはっきりと分かる。



。6: And before the throne there was a sea of glass like unto crystal; and in themidst of the throne,and round about thethrone, were four beasts full of eyes before and behind.

6:御座の前は、水晶に似たガラスの海のようであった。御座のそば近くそのまわりには、4つの生き物がいたが、その前にも後にも、一面に目がついていた。 御座の前は、水晶に似たガラスの海とあるのは「firmament」すなわち、「大空」と一致する。 玉座の第1群のフィールドは4つであり、たくさんの目があるのは翼と手だったことを思い出してほしい。あたかも石榴(ざくろ)のように見えるのだろうか? それともヘビのうろこのようにみえるのだろうか。

7:And the first beast was like a lion,and the second beast like a calf,  and the third beast had  a face as a man,and the fourth beast was like a flying eagle. 

第一の生き物はししのようであり、第2の生き物は牡牛のようであり、第3の生き物は人の顔をしており、第4の生き物は飛ぶわしのようであった。 玉座の第1群の生き物の名前である。すでに、これらが、占星術の基本概念を使った位置と方位を表している。バビロニアでユダヤ人が学んだ知識がこうして出てくるので、聖書にも古代オリエントの影響があるといえる。 



8:And the four beasts had each of them  six wings about him: and they were full of eyes within : and they rest not day and night, saying Holy,holy,holy,Lord God Almighty,which was,and is,and is to come.

8: この4つの生き物には、それぞれ6つの翼があり、その翼のまわりも内側も目で満ちていた。そして、昼も夜も、絶え間なくこう叫びつづけていた、聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、全能者にして主なる神。昔いまし、今いまし、やがてくるべき者」。


ヨハネは「The four beasts had  each of  them six wings about him.」、となっており、初めから6つの翼とすんなりと書かれている。 
ヨハネの場合は、「about him]とあり、「him」は、「the four beasts」で、「4つの生きもののそばに、6つの翼があった。」と訳せる。このそばにあるということは、具体的には次のような樣である。

every  one were joined one to another, and two covered their bodies.」

 その翼は高く伸ばされ、その2つは互いに連なり、他の2つをもってからだをおおっていた。ケルブを包み込んでいる状態を{about him}で簡単に述べているのである。



9:And when those beasts give glory and honour and thanks to him that sat on thethrone,who liveth for ever and ever,

10:The four and twenty elders fall downbefor him that sat on the throne,and worship him that liveth for ever and ever,and cast their crowns before the throne, saying,

11: Thou art worthy, O Lord,to receive glory and honour and power:for thou hastcreated all things,and for thy pleasure they are and werecreated.

9:これらの生き物が、御座にいまし、かつ、世よ限りなく生きておられるかたに、栄光とほまれとを帰し、また、感謝をささげているとき、

10:24人の長老は、御座にいますかたのまえにひれ伏し、世よ限りなく生きておられるかたを拝み、彼らの冠を御座のまえに、投げ出して言った、

11:われらの主なる神よ、   
あなたこそは、   
栄光とほまれと力とを受けるにふさわしいかた。   
あなたは万物を造られました。   
御旨によって、万物は存在し   
また造られたのであります。 



9節からは長老たちがが万物の創造者である神を讃えている。以上で、第4章は終わる。

このヨハネの黙示録4章では、「four and twenty」で、神の玉座の回りのケルブ/ケルビムが24のが長老とよりストレートになっている。その御座にいますかたは碧玉や赤めのうのように見えた。
碧玉とは、不透明な石英の一種で赤、緑、黄種があり、色は多様にある。宝石の色が色彩を教えているといえる。

○「顔」 という指示語? 



 顔の形は、おのおの前方に人の顔をもっていた。4つの者は右の方に、獅子の顔をもち、4つの者は左の方に牛の顔をもち、また4つの者は後の方に、わしの顔をもっていた。

 エゼキエルは、ケルビムを中心とし、その周辺に4つの輪を見た。そして、ケルビムもまたクローンになっている。ケルビムの位置は右と左はきちんと「on the right side」と、「on the leftside」と書かれてはいるが、前と後に相当する修飾は明確ではない。球体のなかに、4つの球体が見えるとする。その球体をケルブ、そのなかの4つの球体を「ケルビム」とする。すると、生き物はケルブ、顔はケルビムとなる。  「その輪ぶち、その矢、及び輪には、まわりに目が満ちていた。その輪は4つともこれをもっていた。その輪はわたしの聞いているところでは「回る輪」と呼ばれた。(エゼキエル 10-13)
エゼキエルは、この輪のことを、「オー・ウィール」と呼ばれていることを聞いたと述べている。 
[The appearance of loins]となっている。(loinsと通例複数を持って使われる。) 「腰と見える所の下の方に、火のようなものを見た」。

今度は、下の方に火のように輝くものを見た。こうして、人の姿の中段と上段と下段に3つの丸くとり囲む輝く虹を見ていることになる。

中段は琥珀色で、上下段は炎のような光だ。

それらは一体と見え、「雨の日に雲におこるにじのようであった」、という。
「round about]と英訳にあるので、取り巻く輪のようなものだと分かる。
神の三本の(ring)は、雲を取りまく虹のようだという。 神の玉座は全体がはっきりとした輪郭に縁取られその全体がサファイアのようにに輝き、その輪郭の中心を火のように輝く金色の光を放つ3つの「虹」がとりかこんでいる。玉座の周りはこのようであった。図参照のこと。


<第十三章完>

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