○光るモナドとプネウマ(火花)
イエスが天の聖霊に触れたのはヨハネによってバプテスマを受けたときといわれている。それは、イエスの開眼の始めといえよう。 イエスはガリラヤを出て、ヨルダン川に現れた。ヨハネのところへきてバプテスマを受けようとされた。ところが、ヨハネはイエスを見るとたちまち、イエスこそメシアであることを見抜いてしまった。
そして、バプテスマを授かるのは、イエスではなく、むしろ、わたしヨハネであると言った。しかし、ヨハネの申し出をこばんだ。
「いまは受けさせてもらいたい。このように、すべて正しいことを成就させるのは、われわれにふさわしいことである」と・・・。それは、父なる神の計らいだったからだ。ヨハネはイエスの言われる通りにした。
ヨハネは、その場でイエスに遭い、洗礼をイエスに与えた・・・ヨハネはこのことが成就するために生まれてきたと解釈できるために、転生を認めている記述とされる箇所である。
「イエスはバプテスマを受けるとすぐ水から上がられた。すると見よ、天が開け、神のプネウマ(火)が、鳩のように降りて、自分のうえに現われるのを見た」。イエスがバプテスマを受けたとき、ここに、天が開け神のプネウマを見たとある。プネウマ(聖霊)とはどのようなものだろうか。プネウマについての聖書の記述にふれておこう。
「そこであなた方にいっておく。いかなる罪も冒涜も、人は許されよう。しかしプネウマ(火)の冒涜は人々は許されないであろう。また、人の子に対していい逆らうものは許されるであろう。しかし、プネウマに対していい逆らうものは、この世においても未来においてもゆるされないであろう。」マタイ
「よくあなた方にいっておく。人の子らには、いかなる罪も許されよう。しかし、プネウマ(火)に対して冒涜するものは、永久に許しを得ないで、永遠の罰の状態におかれる。」マルコ
ここにいうプネウマ(火)はより根源的な超越したものであり、超越的な神の霊をさすようだ。イエスは、ヨハネからバプテスマを受けられた後、サタンの試みに遭遇する。
「わたしは父にお願いしよう。そうすれば父は、いつまでもあなた方と共に留まるように、別の助け主をあなた方に与えるであろう。それは真理のプネウマである。この世はそれを受け入れることができない。なぜなら、それを見ようともせず、知ろうともしないからである。しかしあなた方はそれを知っている。なぜならそれは、あなた方と共に留まり、あなた方のうちにいるからである。」 ヨハネ14ー16
助け主とは、プネウマのことだ。プネウマを受け入れるものは少なく、それを見いだすことは難しい。見ようともせず、知ろうともしない。しかし、プネウマはわたしたちとともにあり、わたしたちのなかにあるものである。ただ、心が見ようとも、知ろうともしないだけで、わたしたちのうちにあるプネウマは今も、あすもわたしたちとともにある。釈尊が、無明に覆われ、アーラヤに溺れるものにはダンマを語ることは難しいと言ったことと、驚くほど似ている。真理のプネウマを、この世は受け入れることができないといっている。この世は、見ようともしない。知ろうともしないからだ。
「神がつかわされた方は、神の言葉を語る。なぜなら、神は限りなくプネウマを賜るからである。」
ヨハネ3ー34
プネウマは限りなく与えているもので、無限に絶えることがない。
「プネウマ(火花)こそ生かすものである。肉は何の役にも立たない。わたしがあなた方に語った言葉はプネウマであり、命である」。
ヨハネ6ー63
「もし、渇くものがあれば、わたしの所にきて飲ませよ。わたしを信じるものは聖書が語るように、その(イエス)腹から、生ける水が川となって流れでるであろう、と。これは、イエスを信じる人々が受けようとしているプネウマをさしていわれたのである。」
ヨハネ7ー37
だれでも水とプネウマ(火)から生まれなければ、神の国に入ることはできない。肉から生まれるものは肉であり、プネウマから生まれるものはプネウマである。」 ヨハネ3ー5
「われわれに賜っている聖なるプネウマ(火)を通じて、神の愛が、われわれの心のなかにすでに注がれているからである。」
ローマ5ー5
すでに、われわれは神の無限なる愛が注がれている。プネウマを通じて注がれている。プネウマによって生きている。プネウマは愛であり、真理である。なのに、そのことを知らない。
「肉に従っているものは肉のことを思い、プネウマに従っているものはプネウマのことを思う。肉の思いは死であるが、プネウマの思いは、命と平安である。」 ローマ8ー5
「もし肉によって生きるなら、、あなた方は死ぬであろう。しかし、プネウマによって体の働きを殺すなら、あなた方は生きるであろう。」
ローマ8ー13
プネウマを「火」と注記したのは著者自身である。日本語訳聖典では、聖霊と訳されるている。聖霊では、羽の生えた天使と思ってしまう。そのために、プネウマを火とした。
プネウマは体験を伴って起きる火のように見える実態的現象である。キリスト教でも、祈りと暝想は崇高なステージだ。「天の閃光」(スピンクル)が主体者に顕になること・・・これは根源的な目覚めであり、接神体験に共通する。ダンマとプネウマという超越的な光が体験的なもので、ともに接神体験によって見ることができる何かである。思索もしくは学門を超えた神秘的な体験であることを重視することも大切だろう。
「その時、イエスはプネウマに喜びあふれていわれた、天地の主なる父よ、あなたをほめたたえます。」
このように、プネウマとは、それに満たされたとき歓喜にあふれる。プネウマと直接交流し、経験することは、時に恍惚と溢れる喜びである。
○トマスの福音書
1945年に、上エジプト・ナイル河畔の町、ナグ・ハマディ近郊で発見されたナグ・ハマディ文書はコプト語(古代末期のエジプト語)で書かれたパピルス写本で、この発見は世界の話題となった。この写本に、これから紹介するトマスの福音書がある。トマスの福音書は、外典となっているが、その極めて純度の高い内容は共通福音書に伍する価値がある。
「彼の弟子たちが言った、『あなたがおられる場所について教えてください。なぜなら、わたしたちはそれを捜すことがわたしたちに必要だからです』。彼が、彼らに言った。『耳あるものは聞くがよい。光の只中に光がある。そして、それは全世界を照らしている。それが、照らさないらば、それは闇である。』・・・」
この言葉は、世の光でない霊なる光を言っている。それは、神が光であることを如実にしている。聖なる世界のなかで中心となっている光を捜せば、それが主、イエスであるということを述べられている。
こういった聖書の聖典にない、すなわち、四福音書以外のイエスの言葉を「アグラファ」というが、次の「アグラファ」も素晴らしい。
イエスが言った。「像(Eikon)は人間に現われている。それらの中にある光は父の光の像の中に隠されている。彼は現れるであろう。彼の像は光によって隠されている」。 トマス−83
ここでいうエイコーンは創世記のギリシャ語版「神は神の像(エイコーン)にかたどって人をつくり、・・・・」とおなじ。
イエスが言った、「あなた方があなた方の似像を見る日に、あなたがたは喜ぶ。しかしあなたがたが、あなた以前に生まれた・・・死にも現れもしない・・・あなた方の像を見るならば、どれほどあなたがたは耐えられるであろうか」。
トマス−84
(トマスによる福音書 荒井 献著より(講談社 学術文庫)
プネウマは超越的な火花(現実の火ではない)であり、魂ないし最内奥の自己であり、現実の宇宙や自然とかけ離れている存在であった。しかし、ヘレニズム的なグノーシス(霊知)主義にとっては、それも「可視的」なもの(像・エイコーン)であった。パウロにとっても、グノーシス(霊知)主義者にとっても同じくプネウマは形ある霊であり、超越的な体験によって知り得た。プネウマは、俗的な指示語のない表現である。つまり、内なる体験でしか知ることができないものということだろう。その像を見ることは、あなたがたに耐えられるだろうか・・・と意味深なことを付け足している。
R.W.エマソンのいう「最後に残るもの」とは、ギリシャ語「プネウマ」であり、すなわち「火」のことである。この、新プラトン主義者が好むプネウマはギリシャを発祥とし、グノーシスではプシケー(魂)と対比され、グノーシス的二元論をなしていた。プシケーはプラトン以来、内なる神の原理を指す言葉だった。そして、最後に、このことを述べておこう。プネウマとは、東洋ではマンダラがそれを象徴していたことを・・・。
「目は身体の明かりである。だから、あなたの目が澄んでおれば、全身も明るいであろう。しかし、あなたの目が悪ければ、全身も暗いだろう。だから、もしあなたの内なる光が暗ければ、その暗さはどんなだろう。」 マタイ6〜22
○マンダラとDNA
DNAは有情とされる全生物に共通している。アミーバのような下等動物は短く、人類はそれにくらべてたいへん長いという違いがあるだけだ。DNAは神が地球生命を生み出した設計図だ。
DNAの成り立ちにおいて、なぜ塩基が4つなのか、そして、なせ4つのパターンがきまっているのか、その不思議さに迫ってみよう。4という数字は謎をを解いてくれる鍵になる。
DNAは4つの塩基(ATGC)を材料に、そのうちの3つでひとつの単語(トリプレット)をつくり、その連鎖で、特定のアミノ酸をつくる情報を決定している。その3つの単位でつくる言語をトリプレットといい、生命の単語といわれる。
4つの塩基から、3つだけアウトプットして単語をつくる。DNAの基本コードは、したがって3からなりたっている。そして、基本コードが長い長いテープのようになり、最小のアミノ酸をつくる染色体でも最低1メートルはあるといわれている。
そこでは、トリプレットの数は64種類あることが知られている。トリプレットは、たとえば、TTT、TTC,TTA、TTGのように、始めの二文字は同じで、三つめが4とおりに変化する。また、同様に始めの1文字の次の組合せは4とおりで、たとえば、TT,TC,TA,TGとなる。すると、4x4x4という倍数のうえになりたっている。
64→20
TTT |
TCT |
TAT |
TGT |
TTC |
TCC |
TAC |
TGC |
TTA |
TCA |
TAA |
TGA |
TTG |
TCG |
TAG |
TGG |
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CTT |
CCT |
CAT |
CGC |
CTC |
CCC |
CAC |
CGC |
CTA |
CCA |
CAA |
CGA |
CTG |
CCG |
CAG |
CGG |
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ATT |
ACT |
AAC |
AGC |
ATC |
ACC |
AAC |
AGC |
ATA |
ACA |
AAA |
AGA |
ATG |
ACG |
AAG |
AGG |
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GTT |
GCT |
GAT |
GGT |
GTC |
GCC |
GCA |
GGC |
GTA |
GCA |
GAA |
GGA |
そこで、64種類はこうしてうまれるわけで、64種類の記号をもってDNAのすべてができている。
3でひとつの単語をつくることは、不思議な意味がある。3の倍数は神数とも言われる。ピタゴラスは3の倍数を完全数と考えた。3の倍数の数字は、桁を無視して加算するとかならず「3、6、9」の単数になる。ある数を桁をはずして単数化した結果は、その数を9で割った残数(X MOD 9)に等しい。この計算法を九進法という。旧約聖書の手法で書かれている「ヨハネの黙示録」に出てくる数字は例外なく神数を使っている。12の星、12使徒、新エルサレムの12の門、12の実、24人の長老・・・・。
また、もっと大きい数は、「そこには、彼女が1260日の間(=9)」 (ヨハネ12ー6)、「また、144000の人々(=9)が小羊と共におり」 (14ー1)・・・・・。
「12000人が印をおされた(=3)」、など桁をはずして合計すると3.6.9のいずれかになる。東洋では「孫悟空の原典」はすべて神数だという。不思議な「神数」は数秘術の根本になっている。
4つのコードの3つしかつかわないで、情報区分をすることは実はたいへんな大きい意味をもっている。マンダラは4の倍数という複合性をもっている。金剛界マンダラをみると、5仏構造が2重構造を持っていることがわかる。つまり、一つの輪をのぞくと4つの輪があり、またそのうちの一つのなかを覗くと、また4つの輪で、また一つの5仏構造を作り上げる。マンダラもまた3重構造をとれば、64の仏菩薩の壮大なパンテオンになることが想定される。
色彩も、4種類が3乗された、色彩モードが想定される。そのモードは一瞬、そこには、3つの色彩が重ね合わさることによって、現象に投影されてくる。3つの光の合成の刻々の変化をとると、64に色彩の混色パターンになることになる。
しかし、これが、64種類のカラーチャートになるわけではなく、なぜかそれよりずっと少ない。ここに、驚くべきDNAの神秘が浮かび上がる。3つの光の合成は、光の加法混色、または加算混色とおそらく同じ法則であろう。 黄・黄・すみれの合成は、うすいばら色になる。 赤、赤、すみれは、赤みのある紫になる。 赤、緑、緑は、鈍い黄緑になる。 赤、赤、黄は、オレンジになる。 すみれ、すみれ、すみれは、すみれ。 緑と、緑と青は、緑がかった黄になる。
こうして64種類のカラーチャートに光の加算混合を透過してみることにする。
これを行うには配列の順番を無視して組み合わせの同一なものをソートすればよい。
4つの塩基、アデニン、チミン、グアニン、シトシンの頭文字をとって、A,T,G,C,と呼ばれている。ここで、読者とかりにこのような約束をしよう。Aを、赤(R) Tを黄色(Y) Gをみどり(G)Cを青(B)、と文字を変換する。こうして、64のトリプレットを色彩に転換してみよう。第1作業として、64のトリプレットを書き出し、その順列を無視してみる。すると、不思議なことに20種類の色彩モードしか残らない。(下の図) 20尊はマンダラでは重要な数のひとつだ。
さて、驚くべきことに生命に使われるアミノ酸は全部で20種類しかない。この20類のアミノ酸が人体にはどうしても必要なのだが、この20種類のアミノ酸は64種類のトリプレットが用意されてなりたっている。なぜ、64のトリプレットがなければならないのか。
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64 |
→ |
20 |
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TTT |
TCT |
TAT |
TGT |
→ |
TTT |
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TTC |
TCC |
TAC |
TGC |
→ |
TTC |
TCC |
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TTA |
TCA |
TAA |
TGA |
→ |
TTA |
TCA |
TAA |
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TTG |
TCG |
TAG |
TGG |
→ |
TTG |
TCG |
TAG |
TGG |
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CTT |
CCT |
CAT |
CGC |
→ |
CCC |
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CTC |
CCC |
CAC |
CGC |
→ |
CCA |
CAA |
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CTA |
CCA |
CAA |
CGA |
→ |
CCG |
CAG |
CGG |
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CTG |
CCG |
CAG |
CGG |
→ |
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ATT |
ACT |
AAC |
AGC |
→ |
AAA |
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ATC |
ACC |
AAC |
AGC |
→ |
AAG |
AGG |
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ATA |
ACA |
AAA |
AGA |
→ |
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ATG |
ACG |
AAG |
AGG |
→ |
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GTT |
GCT |
GAT |
GGT |
→ |
GGG |
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GTC |
GCC |
GCA |
GGC |
→ |
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GTA |
GCA |
GAA |
GGA |
→ |
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GTG |
GCG |
GAG |
GGG |
→ |
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_※TCTとTTCとCTTは一つとする。Tが2つ、Cが一つの組み合わせパ_ターンと考える。以下、同様に重複を排除してゆく。
_不思議なことに右側には20種類のモードしか残らない。
こうして、右側(→)にあるような組合せの暗号コードが残る。配列を無視した消去によって、モードは20に集約される。
ピタゴラス派は10を完全数と考えたが、その理由は、3つの文字から、3つの記号を作り、配列のケタを外すと10のモードができたからだ。
しかし、20という数にもかなりの完全なモードではないか。色彩を透過すると64のトリプレットから、20のネットワークモードが抽出される。
色彩論も神秘学から見ると難しい。ニュートンがプリズムの実験をするまでは色彩論は一世を風靡する謎学だった。
簡単に言えば電磁波の波長によって色彩スペクトルが決まってくる。色彩はスペクトルの混合できまる。しかし実際に電磁波に色があるわけではない。また物体にも色はないということがわかっている。では、どこで色が発生するのか。目に映じた信号が脳に到達し、その信号を解析した結果が色彩ということになる。
すると、脳がいっさいの仕事をしているのか? という疑問がわくだろう。 脳と心の問題も奈辺に議論の分かれ目があり、色彩も脳と心のどちらが仕事をしているのかよく分かっていない。
さて、波長は、赤、黄、みどり、青の順に短くなってゆく。だいたい700ミクロンから、400ミクロンの波長の電磁波が可視光線といわれる。そのなかで、とくに赤、黄、緑、青の4つの色彩を選び、これを塩基とあわせてみた結果が意外なものを産み出した。Aを赤、Tを黄、Gをみどり、Cを青Bとする。すると、下図のような構造体が描ける。
20のアイテムは12色に!
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RRR |
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RRY |
YRB |
RRB |
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YYR |
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RRG |
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BBR |
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YYY |
RYG |
YYB |
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YBB |
RBG |
BBB |
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YYG |
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GGR |
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BBG |
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GGY |
YGB |
GGB |
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GGG |
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この構造は色彩の調和が保たれ、しかもどれもこれ以上分解できない。
○20&1のネットワークマンダラ
光線は電磁波で、波長によって色彩が決まってくる。色彩とは波長そのものであって、実際に電磁波に色があるわけではないし、物体にも色はないということがわかっている。さて、波長は、赤、黄、みどり、青の順に短くなってゆく。その幅は、だいたい700ミクロンから、400ミクロンの波長の電磁波が可視光線といわれる。 Aを赤、Tを黄、GをみどりG、Cを青Bとする。色彩のモードで幾何学模様を作ると、マンダラ形になり、四方に純色が配置される。
20の色彩モードは、別表の様になる。もちろん、3つの色彩が、赤、緑、すみれで、均等に合成されれば、透明色になることは、光の加算混合で学んでいる。仮にRGBが純粋光だとし、中央で四方の色光が完全に混じりあうとすると、Yのみのこされる。Yが東であるとすると、神が自ら耕すエデンの東の論法が成り立つかもしれない。
○マンダラの動き
上記のマンダラ模様は右回りにすばやくエネルギーが回転している。(止まることもある)つまり、Y→R→B→G→(Y)→(R)・・・・のようにエネルギーが循環している。 さて、ヨハネの黙示録には、4&20の記載がある。4&20で、24の長老と訳される。今日の英語版ではTWINTY−FOUR ELDERSとなっているが、すこし古い昔の英文聖書には、たしかに4&20 FOUR&TWENTYと記述されたものがおおい。意訳によって簡略化されたために、本質的な含意が失われたいい例だろう。
なぜ、昔の表現では、4と20とわざわざ記入されているのだろう? 古代の計算法に、20進法があったせいではないかと思われる。20進法によれば、20はαとΩになりうる。12進法が,20を
score といい、twoscore、threescoreとし、それぞれ40、60・・・を表しているのは、20進法があったことの残滓だと言われている。確かに、20は、One Scoreになるので、1に戻れる。アイヌ語も二十進法の一例とされるし、マヤ・カレンダーは20進法である。古代の計算法が、20進法であった可能性が高いのである。
4つの”何か”と20の”何か”とすれば、ヨハネの”24”に秘された数秘の意味合いがでてくるように思える。
○20の色彩は、最後には8色になる?
RRR |
RRG |
RYB |
=赤 |
YYY |
YRG |
YYB |
=黄色 |
BBB |
YBB |
BRG |
=青 |
GGG |
GGR |
GYB |
=みどり |
RRRとRRGとRYBは、みな赤にしか見えない。
RGは混合して透明になってしまう。
どうように・・・・・・
YYY YRG YYBは、みな黄色にしか見えない。
BBB YBB BRGは、みな青にか見えない。
GGG GGR GYBは、みどりにしか見えない。
なんと、20トリプレットのうち12色は、たった4色に習合してしまう。
すると、12の色しか可視的にはありえない。8つの中間色をペアーとして、同類と見ると4つにまとまる。すべての数は8になる。これは、マンダラを彷彿させる。
○数の奥義
ツァラトゥストラ(ギリシャ人が呼べば、ゾロアスター)は光と闇の2分法を持ち出だした最初の偉大な聖者だ。長い間光と闇のシンボリズム、光と闇の闘争の場がこの世界というわけだ。しかし、明るいことと暗いことの2つの要素だけでは、どのような人間的本質を生み出すことはできない。 2には、かならず中間がある。両方がかならず釣り合う点があるというこということだ。2が、正と反なら衝突してたちまち消滅する以外にない。
明るいと暗いのは、どうして、識別されるのだろうか。そこには、明るくも暗くもない状態がある。だから、2は、3のなかに含まれて存在する。こうして、3は絶対的存在そのものを象徴する。存在の始めを1とすると、1には3が内包されていなければならない。 そして、その存在に働きを持たせるためには(認識するには)、3では足りない。もう1軸なければならない。3は4になって、はじめて認識する能力をもち、3は能性化される。したがって、4とは、3にエネルギーを加えたものだ。認識される対象の存在と、意識とは相互に不可分な関係にある。
4番目はエネルギーで、3までが属性を決定する、こうした関係にある。3と4との関係、人間のDNAも視覚の神経構造もこうしたシステムを構造的にもっている。つまり、感覚器官はバランスを検知する秤のようなもので、しかもかならず2つの秤と、その支点を貫く2つの秤を平行してもっている。1つの秤は、正と反の対のバランスを識別する。1つの秤で2つ、ダブル秤で4つの正と反を複合して、情報を認識する。2つの天秤は組み合せると5つのポイントをもつ。すなわち、中心と4つの先端である。
すべての情報は信じがたいことだが、たった2対の天秤ですべての受けとめることができる。すなわち、なんの性質ももたないが、この2つの秤にエネルギーだけのマトリックス機能をはたすもう一つの要素が加わる。秤であるために、エネルギーを放出するときと、吸収するときがある。だから、すべてのものが、エネルギーにおいて、一定に保たれ、すべてのバランスをとることができる。
すべての運動するもの(運命もそうだ)は、上昇すれば、かならず、衰退下降をともなうことを宿命ずけている。 すべての情報が2対の秤で、認識できるということは、万象が4つの要素に集約できることを示している。感覚器官のすべては2対のはかりから情報を認識している。
ここで、人間は2つの秤で、または4つの文字をもって、世界を関知しているという法則がなりたつ。 認識はまた存在しないものを認識することができない。かりに、認識がすべてを否定しても、精神活動の中には絶対的存在がなくてはならない。否定に否定を重ねても、その果てには存在があり、それを神仏と言う。
○マンダラは心の構造そのもの
プラトンの「テイマイオス」によると、地は肉体であり、水は情念、火は精神、風は知性を示すとした。
これら、4元素は、今日の占星術では、地が牡牛座、水の宮が蠍座、火の宮は獅子座、風の宮は水瓶座の不動宮が対応する。
それらが、人の性格や気質を決定するベクトルとなる。
プラトンをうけついだアリストテレスは、さらに人間のもっている温、寒、湿、乾の基本感覚を割り当てた。 つまり、水はCOLDでDRY、地はHOTでWET、火はHOTでDRY、風はCOLDでWET。それぞれ、色彩に割り当てると、意味合いが一層はっきりしてくる。以下の分類ができる。
アリストテレスによる4元素の性質
牡牛座 |
地性 |
HOT&WET |
黄 |
春 |
肉体 |
東 |
獅子座 |
火性 |
HOT&DRY |
赤 |
夏 |
情念 |
南 |
さそり座 |
水性 |
COLD&DRY |
青 |
秋 |
精神 |
西 |
水瓶座 |
風性 |
COLD&WET |
緑 |
冬 |
知性 |
北 |
ソクラテスのいう一つのエイドス(イデア)(形相)とは、想像するにこのようなものだろう。なぜなら、エイドス(イデア)は徳の源だからだ。
牡牛座は蠍座が、そして獅子座と水瓶座が反対の属性をもつ。おのおのが天秤のように対称をなす。こうして、二対の天秤が、働きとして機能しているようにみえる。循環と対置がバランスをとっていることに気付かされる。
これらの属性は、季節感に対応していることも明らかだ。牡牛座は占星術では、春生まれの人の星座宮だし、獅子座は夏、蠍座は秋、水瓶座は冬と決まっている。
こうして、季節の循環と色彩のスペクトルの循環とは、一致しないが感覚的には一致することに驚かされる。
黄は万物を育む温暖と湿り気をもっていることから、豊穣を象徴する。(本能)
赤は暑さと渇きを呼び、激しい感情と肉体的絶頂をしめす。(感情)
青は実りと知性の成熟と完成をしめし、結果の裁きに適している。(知性)
緑は理性と合理性を象徴する。(理性)
[ユングの心理構造]
ユングはマンダラを心理的機能と考えた最初心理学者のといえる。
思考と感情を対立関係、感覚と直感を対立関係とおいて、さまざまな心の発現を分析する手法はユングがマンダラから直感した手法。上の図がすべてを語る。
感情が横溢であれば、思考が押され、この人は感情のまま言葉を出す人であり、思考に制御されない乱暴な人となる。感覚と訳されているのはセンスであり、直感と対を成すということは、もし、直感が横溢であれば、センスは隠れるので、この人は衝動のまま行動する人になる。
こうした心理的機能を対として考える心理学者はその後、レオポルド・ソンディ博士が実験衝動心理学の手法でも用いている。
このソンディ博士の根本衝動は8つになり、それぞれ4つのカテゴリーに対として組み込まれる。ますますマンダラが心の機能の下敷きになってくる。ユング以来、西欧では率直にマンダラに感動した。彼らは、とてもフレッシュだったので学問的に昇華できたのだろう。
日本語での心理学的な意味合いでは、直上の用語がもっとも理解できる。
この図は、霊的巨星と言われた高橋信次が「心の断面図」として最初に現した。
GLAという団体主催での高橋信次講演会では、いつもこの「心の断面図」を壇上に掲げ、「かたよらない心」という説法に用いられていたと言われている。(1970年代中−後半頃)
中央は黄金色の背景色でそれぞれの言葉は丸で囲まれ、背景色があった。
神道系では理論派神道といわれる山陰神道に一霊四魂の教理が見られる。原理的に、一霊四魂はまったくマンダラと同根の思想であろう。直日霊(なおひのみたま)、荒霊(あらみたま)、和霊(にぎみたま)、奇霊(くしみたま)、幸霊(さきみたま)である。直日霊は中央、マンダラで言えば成身根に、四魂は如来に対応する。
ようするに、心の機能はマンダラと同様な形を描ける。そこで、聖なるマンダラの成身根は、一人一人の心と同型だということができる。人間は神仏の神体と同じものを与えられているということに気づく。
こうして、4つの如来の性格は、そのまま個々人の性状と気質を写し出す鏡となる。
不思議なことにマンダラの四如来はこの原型に非常に近い性格、働きをもっている。(このことは別の章で読者に説明することになるだろう)
そこでいえることは、占星術の実際の根源は、星座そのものにあるわけではなく、もともと内なるマンダラにあってホロスコープはツールに使われているにすぎないといえる。
日本のホロスコープの歴史はじつはたいへん古く、平安時代にはすでにインド・中国を経て真言宗に伝えられていた。当時、「宿曜道」とよばれ、またたく間に貴族たちにもてはやされた。源氏物語が書かれたころには、すでに現在とほぼ同じのスタイルを持ったホロスコープが描かれていたというから驚きである。紫式部が「あの君はいったいなに座なのかしら?」と、言っていたのである。光源氏が明石の姫が女の子を産んだとの知らせを受けて、すくえう(宿曜師)が、「お子様は3人お生まれになり、帝(みかど)と后(きさき)に並んでなられるでしょう。3人の内一番身分の低い女性から生まれた方が太政大臣として臣下の位を極められるでしょう。」と、いつぞや言われたことを思い出して、この姫君が将来后になるやもしれないと考え、明石に教養の高い乳母を送ることにした。以上は、源氏物語、澪標(みおつくし)。
また、光君という名は、高麗(こま)から来た相人(人相占い師)が、君を褒め上げたので付けられた名前であるという。(桐壺)
現代の占星術は12ゾディアック、すなわち12室区分左りを基本としている。黄道12星座を獣帯に配当したことになる。ところが驚くことに、古代の占星術は8室区分法をもちいていたことがわかった。もともと8区分しかなかったのだが、後にギリシャに伝播し、つまり、ヘレニズム時代に12区分法に改編されたのが歴史的な事実らしい。そうすると、12室をもちいる現在の占星術は、ギリシャで紀元後600年以降につくられたことになる。 この12室区分法はドデガトポスといわれている。
それ以前、バビロニアに起源をもつ占星術は古代八室区分法だった。エジプト、インドではもともと八室区分が主流だったのだ。
八室区分法を、オクトオポスという。8つの基本獣帯をもつことは、つまりマンダラそのものからオクトオポス・ホロスコープは派生してきたと考えられる。インドではいまだに八室の伝統的占星術が行われている。
11月08日〜 |
12月22日 |
アクショービア・阿しゅく如来 |
藍 |
秋 |
12月23日〜 |
2月03日 |
マンジュシュリー・文殊菩薩 |
青 |
冬 |
2月04日〜 |
3月21日 |
アモガシッディ・不空成就如来 |
緑 |
冬 |
3月22日〜 |
5月04日 |
サマンタバドラ・普賢菩薩 |
黄緑 |
春 |
5月05日〜 |
6月21日 |
ラトナ・サンバヴァ・宝生如来 |
黄 |
春 |
6月22日〜 |
8月06日 |
マイトレーヤ・弥勒菩薩 |
オレンジ |
夏 |
8月07日〜 |
9月22日 |
アミターユス・阿弥陀如来 |
赤 |
夏 |
9月23日〜 |
11月07日 |
アヴァローキティ・シュヴァラー・観音菩薩 |
紫 |
秋 |
エネルギーの流れは、時間と逆になっている。
これは第6章の冒頭に説明したマンダラの動き(向上門、向下門)の理解を助ける。
八星占星術は、マンダラの動きと連動させてみると上のようになるだろう。
<第九章完>
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