第十章........
○マンダラとホロスコープ
釈尊生誕が紀元前654年(一説)、コーサラ国のカピラ城で生まれ、父王をシュット・ダナー(純米王)、母をマヤとして生まれた。80歳でクシナガラで涅槃を迎えられた。没年は紀元前574年となる。当時、米の栽培生産をシャカ族がはじめて行なった。シャカ族はヨーロッパ系アーリア民族で、今日釈迦族の姓をもつ末裔はインドに800人位という。マケドニアの侵入は前340年だった。シャカ没後、240年後になって初めて釈迦像が作られはじめたということになる。 仏像が信仰の対象になったのはさらに100−200年の年月を経ている。こうして、だいたい、釈迦滅後500年にして像仏崇拝期に入ったといえる。まさに像法時代を現出している。輪宝はそれ以前の釈迦仏教の教え(ダンマ)を表現していた。今日、その残り物が八輪形を尊ぶことにつながっている。くだって、インドの6世紀ごろにはダルマ・スートラと呼ばれる八輪宝のモチーフがよく描かれている。 *上座部のタイ国ではタイ歴が一般に使用されている。タイ歴では、西暦2000年は、2543年である。単純に西暦に543を足せば、タイ歴になる。西暦は、コー ソーで始まり、タイ歴は、ポー ソーと最初につける。 西暦がイエス誕生から数えているように、タイ国は釈迦誕生から数えている。いわば仏教歴である。そうすると紀元前544年が釈尊生誕となる。これは仏教歴であるので、その重みは大きい。一国の民衆がみなそう信じて歴として使用している。 仏教寺院の八角堂。八角灯篭。京都御所の紫しん殿にある高御座(たかみくら)中段の八角屋形(国家のもっとも大事な儀式を行なう大極殿)、また、伊勢神宮の神体である八稜鏡は、鎌倉時代の文献「神道五部書」によると「八たの鏡」とあり、大体八頭、八葉形であるといわれている。 八輪宝のモチーフには、寺院の様々な造形物に現れている。「輪宝」は古代インドの七宝として金、銀、銅、鉄で作られたといわれる。この「輪宝」の内側に目のような粒がが並んでいるようなモチ−フは蛇のうろこのようにみえる。また、「や」(自転車のスポークのような棒)にも注目すべきところである。インドの国立博物館にはパールフトの欄楯にはおびただしい量の浮き彫りがあり、みな仏伝図であり、いずれも円形装飾で蓮華弁がその周囲を取り巻いている。中央が8弁、その周囲が16弁というのが多い。こうして、単に、丸い光体でであるだけではなく、きわめて整然とした幾何学的な構造形を持っているのである。 また、卍(Svastika・Swastika・まんじ)は三次元世界からこの実相に最初に触れたときに見えるのである。卍は、しかし、実際は激しく回る風車のように見える。まさに、かざくるまである。そして、チベットのマニ車、日本で言うでんでん太鼓など回転すると意味ではイメージが似ている。 やわらかい金色の光芒であるが、まるでネズミ花火のようである。激しく回転する十字は、あたかも、丁度、「卍」を崩した形のように見える。卍のように鍵のように直角には曲がっていないのだ。カーブした曲線のラインなのである。卍は激しく回転しているからであろうか?。 卍は、鍵十字(かぎじゅうじ)とも言われ、太古からインドに見られ、その歴史は非常に古い。教典では「卍」は、華厳経の法華開発華厳敷栄のなかに見られる。 「仏刹微塵数を過ぎて世界あり宝色荘厳(ほうじきしょうごん)と名づけ、形は卍(まんじ)のごとく帝釈形宝玉海に依りて住す。 周廻せる欄楯(回る手摺り)は悉く宝をもってなり、蓮華の珠網(あみ)は雲の布くがごとし、種々の楽音は互いに競い奏し・・・」 華厳経に帝釈の珠網のなかに卍のように宝色荘厳たる絢爛とした輝きが見えるといっている。「回る手摺り」、「蓮華の網」等の表現は、卍の形は仏の世界の形の象徴として華厳経に示されている。卍は釈尊の説かれた法界の形象であろう。また、阿含教には、 「舎利弗よ、かの仏国土には微風吹動し、もろもろの宝行樹および宝羅網は、微妙の声をだす」とある。 仏足跡に楽器である「法螺貝」が描かれている。つまり、法螺貝の音はこの微妙な卍の回転する音に擬せられているのではないだろうか。 さて、十に彗星のような尾をつけると卍になる。+と卍は本質は同じものだといってよいだろう。そして、聖なるものが、「金華」と言われる理由もそこにある。 また、中世ー近世のヨーロッパにおいて秘教的錬金術の継承者といわれる薔薇十字系の人々の間では丸(◯)と十字(+)を組合せた「車輪」が重要なシンボルのひとつにされている。薔薇十字系の解釈では、宇宙の根源的象徴であるとされ、至聖の記号であるといわれている。 ○キリスト教ではプネウマ キリスト教では、釈迦の開眼に相当する事件はこうである。イエスはヨルダン川でヨハネからバプテスマを受けて、すぐ水から上がられた時、「すると、見よ、天が開け、神の御霊がはとのように自分の上に下ってくるのをご覧になった。また、天から声があって言った、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である。」マタイ3ー16。イエスも神のプネウマ(Spirit)を見た。「saw」とされている。この時が、イエスの宗教的開眼である。 ブッダは「ダルマ」を見、イエスは「神の霊・プネウマ」を見、ヘラクレイトスは「ロゴス」、パウロは「天の光」を見た。パウロはダマスコの近くにきたとき、「突然天からの光にさらされた」とあり、パウロはこのときに突然キリスト教弾圧者から改宗した。ブッダの「ダンマ」は「仏典」に、イエスの神の霊は「聖書」に・・・いずれも弟子たちによって語られるている。その、見たものは「プネウマ」であった。 創世記で描ける「神の玉座」は狭義のロゴス、すなわち、「神の霊」は4xnのリアリティつまり凝集点をもち、その中心は神本体だ。 「道は1より始まる。全一であってなにも生じない。それで、2つにわかれて、陰と陽となり、その陰陽が和合して万物を生ずる。ゆえに、一は二を生じ、三が万物を生じるというのだ。」 淮南子(天文訓) さらに、そのロゴスは何重にも拡がっていく。この3は三位一体で切り離すことができない。1,2,3でまた「1}に戻るようなものだ。その玉座の周囲に3の数理(6つの翼)が顕れ、翼の図形はすべての仏菩薩(聖霊)の光体に見ることができる。 仏教の華厳経−初発心菩提功徳品では、このように記されている。 「菩提を求める心を発するならば、微細な世界が、すなわち大世界であり、大世界がすなわち微細な世界であることがわかるのである。さらに、小なる世界が多なる世界であり、広大なる世界は小なる世界であり、広大なる世界は、狭小なる世界であり、1つの世界は無辺なる世界である。菩提心を発するとき、永遠の時間が一瞬におさまり、一瞬が永遠の時間を包む。だから、一瞬を知ることによって、無限の過去・現在・未来を知ることができるのである」。・・・・・とある。 こうした、小さい部分がもっとも大きく、一瞬が永遠であるといったことを、華厳思想では円融無げという。 この、空間と時間の観念は次元を超えた世界を、3次元レベルで説明する限りにおいて正解であり、言語的思考を以てしては、もはやそれ以上の理解を超えることは難しい。こうした、世界を垣間見ることは実は個々のサイキにとって、論理で以て説明することの限界を示す。 そこに、自ら説明しようとすると必然的に顕教や密教に分裂して進むのである。 したがって、ほんらい説明する指示語がないこと、また、連想させることも限界があることを読者もようやく理解していることだろう。顕密はじつはどちらも大切なのだ。たしかに暝想や直観、かつ霊的なレベルでしか入りこむことを許さない。そうした理由で、次元という壁を超える手段を必要とし、そこに修業が介在する。密教修業は、実は神仏の世界と俗なる世界との橋渡しするテクニックの体系である。 しかし、修業が複雑、高度化し、しかも千年来の日本密教の修業法では一般人にその機会を実に狭いものにしている。仏光は四次元の立体から来るものであり、すなわち3次元に投影することが出来ない。それは、次元の違う振動のパルスの正体であり、リアリティでありながら、そのヴィジョンはわれわれの世界からは第三の目でしかみえず、動き回る光輪や卍としてしか見ることしかできないものなのだ。それ以上のことは、他力に寄るしかない。あるいは、つまるところ、死の淵という危険を踏み越えてしまうかだ。 こうしたロゴスのダイナミックスは3次元の世界からは、いかなる言語的表現を駆使しても迫ることしかできない。神の光明を語るとき、それはそうした理由で神秘思想に限定される宿命があり、科学のように再現性をもち得ない。 神秘思想は、科学を越えた哲学である。しかし、一般にはオカルトとか迷信として排斥されている。ダイナミックな内的コスモの秩序の存在は、心の内にしか求めることが出来ない。神仏の意識の同通点は自己の外に探しても無駄である。あらゆる像仏は自身のイマジネーションを導く有力な手立てになっても、それは虚影である。神秘思想といえども限界があり、たとえ公開されていても、知力のある者が来るまで秘めたまま蓋をしているのと同じである。しかし、宗教に神秘思想がなかったら、それは宗教として全く、魅力がない・・・そればかりか、宗教として成り立たないといえよう。 <第十章完> |