○マンダラと円の不思議
「マンダラ」という言葉は、言語的には古代インドの言葉であるサンスクリット語で、「マンダ」と「ラ」に別れる。「マンダ」は、中心とか心髄という意味をもち、本質を表すとされている。「ラ」は、所有を意味する接尾辞で、「得る」という意味である。また、円・円環の意味もある。インドでは、マンダラ(MANDALA)を、形容詞として使用する場合、「円い」という意味を持っている。 ところで、「大日経」では、『マンダとは心髄をいい、ラとは円満をいう』・・・とある。 マンダラと円とは不可分な結びつきがあるらしい。マンダラが「円い」という意味を持つことは実はきわめて大きい意義を持つ。円といえば、無限なることを表現し得るただ一つの形であり、古来から無限の象徴であった。始まりを持たず、また終わりも持たない。始めを定めれば、そこは同時に一周した終わりでもある。終わりなく、始めもない。すべて平等であり、どこかで区切ろうとすれば、そこは始めであり、終わりである。こうして、平等であり、永遠であり、同時に、すべてでもある円は、完全な形といっても過言ではない。円というと二次元であると考えられるが、今日では、ホーキンスによって、時空は4次元の球体の表面に似ていると考えられている。そして、ホーキンスは時間を虚数にすると、時間軸は空間軸と同じように扱えると述べている。時間軸も空間軸も球体の表面に描かれた経線のようなものだというのだ。(奇妙で理解しがたいこの四次元の球体については第四章にできるだけ分かる範囲で紹介している)
ところで、この点について、C.G.ユングは円について興味 深い一文を残している。
C.G.ユング
「わたしの内部にもその他あらゆるところにも住んでいる、言うなれば善悪を超えた神という非正統的な実体をあえて表現するなら、こうです。『神は円である、その中心は遍在し、その円周はまことにどこにもない』・・・」
神は円であり、その中心は遍在し、その円周はどこにもない・・・ 人間の内部に、またその他あらゆるところに住んでいるところのイメージ、すなわちマンダラをユングは、「円という形」に収斂させている。そして、ユングはさらにその円について、次のように述べている。
「それらは死滅しないが、生成し死滅する万物がそれらのパターンに従って形成されるといわれている、一定の形式」である・・・・。」
「生命のもっとも古い過去の記憶と、最高度の直感の力で作られた宇宙像がマンダラだ。」
・・・・・・と、非常に興味深い表現でユングは結んでいる。
ところで、ユングの云う「魔法の円」であるマンダラは、つねに内的な像として存在し、心的な人格の中心に見いだせるものであった。わたしたちの意識と無意識をも突き抜けたところに、根底的に隠されているマンダラがそれである。それを、わたしたちは「内なるマンダラ」と言っている。
ほんとうのマンダラの立ち顕れるところは、わたしたちの身体のなかにある無意識の根底に横たわっており、そしてそれは、同時に万象万物に普遍的に表れている。マンダラは、真ん中の円をとりまいて8つの円が取りまいているが、このうち4つの円を四如来と呼び習わし、間の小さい4つの円を4菩薩としている。ユングは、この4つの円を「聖なる四区分」といい、マンダラに特徴的な4の本質に迫ろうとしている。ユングは元型(イデア・プリンシパル)という表現をとった。言語を超越した領域、ユングの言うところの「聖なる4区分」との真実と出会い、それは瞑想の初心者が遭遇する最初の出合であるかも知れない。さらに、それらが自分自身であり、また、すべてであることを知る。だから、マンダラが真理への出発点であり、かつ、到達点となる。
ところで、この4区分の意味の奥深さは、ユダヤ神秘思想のカバラ(Qabba~la~h)のも表れており、不思議な言葉が見いだすことができる。「セフィロト」という言葉だ。これは光ないし球を意味する。そして、10個の「セフィロト」には4つの色彩があり、また、4つの聖なる文字に対応する。(第七章に後述)
光の神秘思想は、ギリシャ末期のグノーシス派にもあり、「プノイマ」と呼ばれる。光の断片があって、それは、宇宙から地上につねに落下してきているという。また、聖なるイメージは、月や太陽に形容されるように、円なる光となって具象化されている。
円に話を戻すと、また、円と同じように不思議な言葉として登場するものに「車輪」がある。円と極めて類似性があり、円と同じような深い意味がありそうだ。仏教の教典には、車輪と訳される言葉が多い。
「人間が生と死の回転する車輪のなかに巻き込まれ・・・」
(輪廻転生の意味を含む)
「衆生界のいたるところに余すところなく教えの車輪がころがっていき・・・」
(教えが広まることの意味を含む)
「車輪にたとえられる円満な境地に入った尊い大日如来・・・」
(大悟の意味を含む)
車輪のモチーフは、単純には「法輪」、「輪宝」であり、それは、まぎれもないダルマの象徴である。ところで、「車輪」は東洋だけではなく、西洋でも聖なる形になっている。とびぬけて直接的な象徴はカバラでいう「メルカバ」だ。メルカバとは、「車輪」というヘブライ語の単語だが、驚くことに神の御座を意味している。 円、車輪・・・これらに共通するものは、潜在的な聖なるイメージが、そもそも、わたしたち人間にもともと根底的に横たわっているからにほかならない。
○マンダラの普遍性とは?
マンダラはタントラ(仏教教典)によった仏界の見取り図といわれている。しかし、単に「金剛頂経」のから生まれ出た産物なのではない。この幾何学的な構図や色彩は、真実の仏界と心のリアリティ=元型(イデア・プリンシパル)の像であり、かつ普遍的なものである。だからこそ、太古からその像は連綿と描かれてきた。そもそも、マンダラは意図されることなく、始まりのない宇宙そのものであった。もとより人間が意識的に造形したものではなく、また、偶然描かれたものでもない。わたしたちの肉体細胞の染色体が二重螺旋で、4つの塩基からなりたち、すべての生き物がまったく同じ構造を持っているように、心に形があり、かつ、質量がある。それは、マンダラのような形をしている。
ところで、瞑想ってなんだろう? チベットの僧侶たちは、「マンダラ」に対座して暝想をする。チベットの密教では暝想が必須の行だ。暝想を実践しなくては、生ある間に、どんな人間も聖なる領域へつながることはない。チベットの僧侶の暝想は、朝、昼、晩、夜にと、各時間帯に継続して行なわれている。ゴンパ(寺)の中は暗く、蝋燭の火で灯す。すると、マンダラは眼前に迫るように浮き上がり、揺らめく炎が煙のようにその前を立ち昇る。その煙は、自分の体から立ち昇る気の炎であることに気づく。と、やがて、目の前は青紫色に、やがて黄金色に輝き始める。 それは、次元を透過する超越した偉大なる光だ。「空性」の体験はこうして現われる。大空の世界からの橋渡しが為されており、それは、この幻の光に他ならない。
マンダラは超越しており、特定の人間のものだけではない。マンダラを外なる図画として語るだけでは、マンダラに近接できないと言ったのは、実は、こうした体験こそ大切なことだからだ。マンダラは内なる存在として、すべての俗的な権威を越える至高の存在であり、それは、同時にあなた自身であるからだ。マンダラは「空」の世界の究極の「相」であり、空の本質であり、円く輝くさまざまな色彩に満ちた光の像となって顕れる。永遠なるもの、マンダラの本質、それは、同時に一人一人の「魂」に輝き、万物に平等にある。生あるものは、それがマンダラなのだ。
○暝想と光の神秘
「マヌの法典」は、インドにおいて紀元前200年から紀元後200年に及ぶ間に編纂されたサンスクリット語の大宗教法典だ。そこに、こうある。
「唯独り、彼はその霊に有益なることについて、絶えず暝想すべし。なんとなれば独居して暝想するものは最上の福祉を得。」
暝想は誰もが大悟を得るために通らねばならない偉大なステップだ。宇宙原理(ブラフマン)と個我(アートマン)とは本来、同一であるという考え方は、バラモン正統派の伝統的な疑いえない真理なのだ。アートマン、その表れはあくまで肯定的な「有」の存在であり、肯定的な有産力をもった力となって表れる。さまざまなトーンをもち、色彩をもち、形をもって存在し、あらゆる存在するものなかをつらぬいて全空間をおおいつくしている。それゆえに、アートマンは現象のすべてを包み、生産するむシャクティ(母性)の役割を担う。それは、空域と物質界がもともと一つである事の確証であり、2つの領域は別物ではないことを示している。そして、それと不二だと思うとき、彼は至福をえるのである。彼の外からけっして来るものでなく、それははじめから内臓されていたものであった。
さて、インドでは仏教はヒンズー教に、また、イスラム教に圧倒されてしまったが、チベットにはタントラ仏教(ラマ教)がいまでも残されている。そして、チベットには数々のゴンパ(寺)があり、なかでもリンチェンサンポ方式の堂は、ただ、ひたすら暝想を行なうための場とされている。とりわけ堂内の壁にはマンダラが所狭しと描かれ、そのなかで、独り、宇宙と自分の合一を体感するために暝想に耽る。宇宙のエネルギーが彼自身を全く貫いている。すべては、原初仏のもとに一つなのだと・・・。
「心の本性とは、光と空の自覚を悟って 無為の自然の境地にわたしは融けいる善きも悪しきもわたしは気にかけぬ無為の心にあって、わたしは愉しく幸せ」
ミラレパと鳩 第8章
「瞑想するヨーギは、疑いなく法界の清らかなマンダラに融けいる道に迷う恐れがないからである己の精髄をつかむことがヨーギの道」
ミラ・グルブム 第7章
チベット仏教は、かつては別名をラマ教ともいっていたが、ラマとは導師(グル)という意味である。現在ではラマ教とは呼ばないが、チベット仏教が師を絶対のものとして尊崇するのでこの名が生まれた。よき師についてはじめて悟りに向かうことができる。
密教タントラのあらゆる実践は、ラマによって灌頂、直接伝授されなければ成就できないとされる。また、タントラ密教の三帰依戒は、導師(グル)、守護神(デーヴァ)、ダーキニーで、仏教とは出発から異なっている。仏教の三宝帰依は”仏法僧”である。
チベットの修行で、導師は一人とは限らない。はじめは何人もの導師に教えを乞う。しかし、最終的な悟りに導く導師を根本導師といい、グルに絶対的に帰依する。口伝だけでなく、あらゆる動作を含めて、それらは書物だけでは伝えることができない。
観音菩薩(チェランジェリー)の化身といわれ、世界的に尊崇されている第一四世ダライ・ラマがチベットの修業法を次のように述べている。
「密教は4つの段階に別れている。一、所作タントラ 二、行タントラ 三、ヨーガタントラ 四、無常タントラ。 所作タントラは、呪文を唱え、儀礼を行なうことで、また行タントラとヨーガタントラでは、集中した暝想を行なうことによって呼吸や、体液の流れ、血液の循環をコントロールしている。しかし、もっと効果的な方法としては、無常ヨーガタントラ修行法がある。」、中略。
「最初の三つの場合は、自己の存在を否定する精神的な集中力を必要とする。が、四番めの無常ヨーガタントラでは、自由をもたらす生起次第と、成熟をもたらす究竟次第の道の実践を行なう。」
現代では、無常ヨーガタントラがヨーガの最高の技術であるとし、「方便と知恵が一体となって生まれる、強力で細やかな意識レベルの暝想三昧である。」と説いている。
○ヨーガってなに?
ヨーガとはサンスクリット語で、馬をくびきに「縛りつける」といった意味だ。肉体の感覚器官を暴れる馬にたとえると、その統御を意味する。転じて、暝想という意味の言葉になった。荒々しい五感煩悩に、手綱をつけるという伝統的な意味をもっている。それが、ヨーガである。 タントラとは、[tantri]が語源で「縦糸、織物」を表し、転じて、「知識を広める」という意味。自らに目覚めるための知識、体験の体系を意味し、単純に教典をさすようになった。タントラのうち、第4の無上ヨーガ(最高のヨーガ)は中国・日本には伝わらなかった。一方、いわゆる後期の密教がチベットでは一世を風靡し、土着的ボン包含しながら発展したといわれる。チベットでは、タントラヨーガに、無常の魂の励起が約束されており、多くの人々を高い境地に導く実践がいまでもなされている。日本の密教は、中期の密教に属しているが、やはり瞑想行は重要なことだった。弘法大師・空海は、「即身成仏儀」のなかで、「龍猛菩薩が著したという『菩提心論』には次のように説かれている。
『真言密教の教えと行法においてのみ、この身のままで仏になれる。その理由は、ここには暝想の境地を得る方法が説かれているから。他のもろもろの教えの中には(この方法は)欠けており、書きしるされていない。』」
密教がすぐれているのは「暝想」が説かれているからだ。そもそも、三摩地(サマーディ、暝想)を抜きに成仏は望めない。とすれば、密教がすぐれていることは、これと比較すべきものがない。暝想は真言法の成仏の要諦であり、暝想に依らずしてどんな悟りもない。瞑想は真実への階梯であり、それなしに、真実に近づく事はできない。
「ヨーガ修行中に見られる霧、煙、日、風、蛍、電光、瑠璃、月等の相派、絶対者ブラフマンを顕す先駆的兆標なり。」
瞑想のビギナーは、瞑想中に不思議な挙動をしめす光にでくわす。それらは、ブラフマンを顕す兆候だ。なぜなら、その光はまさしくわたしの意志によらない挙動をしめし、わたしはただ感動しているからだ。禅では、これと魔境(雑念、妄想)と区別しない人が多い。しかし、これらは、たいへん良い瑞兆なのである。ところで、日本での瞑想の方法に阿字観法(あじかんぼう)がある。阿字観とは、日本における一般的な密教の暝想法で、観法修行のひとつだ。主に、本行の前に行なわれている単独行法であるが、この阿字観の暝想は禅定と違って梵(ぼん)字の「阿字(オームの字印)」を見ながら一つに思念を集中していく。主に、主尊を顕す阿字をありありとイメージする。主尊との一体化をはかるり、禅のように「無」になる、つまり、「空っぽ」になるのではない。むしろ、強烈なイマジネーションを発揮し、主尊(大日如来)を細部まで心に映じ、一体感を感じ取る。阿字観法は、視覚的体験を即座に得ようとする。「ア字」は、当体を文字で示したものだ。「阿字観本尊」、または、「月輪観本尊」などの修行法がある。暝想が深まれば、精妙な空の世界に没入し、自己が主尊と一体と感じる。密教は、そうした体験的で実践的な修行がなくて
は本来なりたたない。
さて、チベットの4つのタントラとは、14世紀の学匠プトンによって定められたといわれ、今日まで、密教文献は4種のタントラに分類されている。これらの4分類は、だいたい密教の発展段階と相応しており、後になるほど高度で直接的な悟りを目指す指向が強まっている。
第1の「所作タントラ」は、呪文、陀羅尼、諸仏の供養の仕方、壇の作り方、手印の結び方などの作法を主要な内容とする。「蘇悉地経」、「蘇婆呼童子経」、「不空絹索経」などがある。
第2の「行タントラ」は7世紀の成立と言われる「大日経」で、マンダラをつくり、悟りを中心にした観想法を発展させた。観想法とは、精神集中によって眼前に神仏をありありと描くことである。しかし、この行タントラの大日マンダラはほんのわずかの点数が残されていること以外、あまり知られていない。
第3の「ヨーガ・タントラ」は「金剛頂経」である。この教典の出現は8世紀で、行者はこの金剛界曼陀羅と一体になる暝想を行じる。 第4の「無上ヨーガ・タントラ」は精神・生理学的なヨーガの技術を用いる。さらに、奥深い秘密を残しているが、この暝想は、ある観相マンダラを持ちいて直接、光の場に降り立とうとする。
チベットの観相修業にもちいる第4段階以降のマンダラは、日本に知られていなかった。「悟り」の第一段階は、シューニャータ(空)の光とエネルギーが、いつも真我に透過しているという真実を見ることからはじまる。それが透過しているゆえに、万物がマンダラの(構成の)一部であり、わたしたちもマンダラの元型を刻印された「仏」に他ならないことを感得することができる。
○チベット・ゾクチェン密教ってなーに?
「無意識をさらに突き抜けたところに光の領域があらわれる。この光の領域こそ、意識の原初の場を示している。
これは、『ダルマ(法)の本性』ともいうべき(光の)場、精神現象の「法」すべてが、この『法の本性』の場に立ちあらわれる。
『法の本性』という光の場において、輪廻する現象界のすべてと、それを抜け出した解脱の状態を示すものすべてがあらわれである。
したがって、この『法の本性』とは違うところからあらわれでるものはなにひとつとしてない。すべては、とぎれることなく、『法の本性』という場の中にあり、その場から立ちあらわれる。だからこれを、一切の土台と呼んでもいい。
仏教の修業は最終的には、ここに直接おりたとうとする。そのため、ここは紛れもない原初の場であるダルマカーヤ(法身)と呼ばれたりする。その土台はもともといっさいの意識現象、いっさいの現象によって歪められたり、汚されることがないものであるから、純粋で空性だといわれることになるけれど、これは空っぽの空虚な空間とはおよそ異なるものであるを注意しなければならない。
いっさいの土台である『法の本性』という光の場は自然的な能産性を内蔵しているからだ。つまり、この原初的な場から、外側からは何の力を加えられることもないままに、あらゆる方向にむかって無限の力が光となって、絶え間なくあふれだしているのである。この自然的な能産力から一切の精神現象が生まれてくる。
そのため、この力はあらゆるものを包み込む慈悲と呼ばれる。ゾクチェン密教は、これをさらにさまざまな言葉で表現しようとしている。*イェーシェー(純粋な知恵)という言い方もそうだし、すべての想像力の消滅した『場』とも『空性』とも呼ばれる。自然発生的な知恵とも言うし、また、そこにあらわれでるものが、すこしも思考によって影響されることのないところから、『意識の自然』などとも表現される。」
野ウサギの走り・中沢新一著 P244 「チベットのテクスト、ラマ・ミファムが著した『ニュグゼム・コルスム』(意識の自然をめぐる3つの論考)より。
*イェーシェー(純粋な知恵)イェー(ye)の語根の意味は、本源の、原始の。シェー(shes)は認識力。サンスクリット語のジュニャーナにあたる言葉。
経験的な知覚意識よりもさらに奥深く、光の領域がある。この光の元型がマンダラである。そのマンダラはまさに「ダルマ」の本性であり、さまざまに呼ばれるているが、もともと一つのものだ。この他に、「空」とも「中道」とも、さらに「縁起」とも名づけられる。これらも、そう名づけられているが、皆、一つのものを言い表している。マンダラは光の領域、または、光の場にあり、自然(じねん)的で、なにものにも影響されない(無碍)ばかりか、いっさいの精神現象のエネルギーの源になっている。つまり、ここから、無限の生命力が絶え間なく供給されている。すべてのエネルギーがそこから流出している。ダルマカーヤ(法身)とはマンダラにほかならない。マンダラは永遠で無限の光を、他からエネルギーを与えられずに活動する超越的な存在である。つまるところ、原初の太陽といってもいい。この太陽は、なにものにも影響されず、消滅せず、また、なにものにも汚されない純粋な光を放つ性質をもっている。その存在する領域は空性であり、永遠で、清浄で、破壊されず、減ることも増えることもない。終わりなく、始まりもないので、創造した、あるいは創造されたということもない。
この永遠の光の領域は、3つの純粋な光に分かれ、それらは堅く結び合わされている。そして、図画としてのマンダラもまた、光の法身を直接顕そうとする。マンダラがパンテオンのようでもあるが、実は、一つである。したがって、マンダラはわたしたちに秘密をもって立ち表れる。自己の内部には、必ず光り輝く空性の領域(仏の世界)がある。外なるマンダラは、内なるマンダラを招来するための聖なる像であり、同時に伝法の手段である。
そもそも、マンダラを自己のものとしてとらえるのには暝想する以外にない。「座れば仏」ということも、瞑想をしているとき・・・、「行深波羅蜜時」・・・そういうことだろう。暝想はマンダラを捉える最上位の手段である。マンダラが描かれた訳はたとえていうなら、図画は多くの情報を瞬間的に訴えることができるからといえる。いわゆるマンガの1コマの情景描写を、散文で表現すると1200字にも相当する場合がある。それと同様に言語の限界を図画によって克服しようというのは、蓋しよいことだろう。無意識の内奥に刻印された形は、文書で説明するのは極めて難しい。
「密蔵深玄にして翰墨に載せがたし。更に図画をかりて悟るらざるに開示す。」
上記は、「請来目録」にある弘法大師の有名な御一文であるが、まさに、「さらに図画をかりて開示す」という表現は誠に意味深いものがある。
○ゾクチェン密教
ゾクチェン密教は、特定の宗教的教義や僧院にも入らず、そうした入門儀式をまったく必要としない。しかし、グルだけは、どんな修行にも必要とされる。ゾクチェンのグルは、外側から規律を強制して人を変えようとせず、内側から目を覚めさせる。弟子に規律に従え、指示を守れとは決していわない。
瞑想の姿勢も、横になっていてもできるならそれでいい。背筋をまっすぐ伸ばせともいわない。
ただ、「自分の内なる目をひらけ。自分自身を見つめよ。悟りをもたらしてくれるよな燈明を、外に求めるな。自分の内なる燈明をともせ・・・」と、いったような内火を見る手助けをする。
また、非常に大切なことだが、宗派の教義も哲学的な論争に、なんの価値も認めない。必要がなければ、権力に言及することもない。
土台となるのは、一切が自分自身であり、さらに、大切なことは、あるがままで完全であり、そこから無限のエネルギーが顕れているとみるので、苦行自体に意味はない。
ゾクチェンは寂静なる心の境地を見いだす状態を、「止」シネー(zhi-gnas)とし、リラックスして思考のない状態をつくるが、そのさいに顕れてくる四元素のエネルギーの運動性(光)をあるがまま観察するように取り組む。
とくにある清らかなマンダラがあらわれようと、光輪が見えようと、それは自分自身に内蔵されている光明の一部であるので、とりたてて騒ぐことはない。ゾクチェンでは、それを清らかな本性、あるがままで完璧な存在(ルントゥップ)のエネルギーが粗大な側面に顕現した多様な様態の一つであると見ている。
これは、自分の意識でコントロールできるようなものではない。ただ観察する、なにも努力しないでただ見る。それは、すべて自分に備わっていたもので、たとえあなた以外の人が、「あなたは進歩しました、覚醒に近づいている」と言っても、それはなんの意味もない。なんらかの現象をもってしても、それで偉くなるわけではない。
根本的には唯一のエネルギーしか存在しない。それと、己の本性が不二であることに目覚めることに深い、根本的な意味がある。自己解脱(大いなる完成)の境地を知ることが、ゾクチェンの修行の根本だ。
このとき、ゾクチェンにおいて、いわゆる悟りとは、鏡のような心の境地をさして、リクパ(rin-pa)という。リクパが目覚めるとすべての過去のカルマは一瞬にして克復されてしまう。しかし、リクパが自分の外からやってくるものだと思い込んではならない。
修行者は瞑想することなく瞑想する。なぜなら、境地に達した人でも、日常生活でおこる煩悩、とくに怒り、執着、無知(三毒)は免れない。そのとき、それをただ観察する。観察しているだけで、怒りは憤怒尊、執着は歓喜尊、無知は寂静尊の智慧に変容する。これは、あるがままで「リクパ」と自分が不二であることを常に保っているからだ。
○日本のマンダラの特徴
東寺の両界曼陀羅は、現図曼陀羅とも言われているが、左に金剛界曼陀羅、右に胎蔵曼陀羅を、中央に大日如来の本尊を配している。正しくは「伝真言院曼陀羅」という。金剛界曼陀羅は「金剛頂経」をもとに描かれたもので、九つの正方形のブロックに別れている。それぞれの、諸仏が会合するので「会・え」といい、「九会曼陀羅」(くえまんだら)とも称されている。両界曼陀羅の成立や、その、違い等は詳しくない。胎蔵界曼陀羅は「大日経」によって描かれ、深く、仏性の種を秘め、「仏の理」を示しているといわれている。一方の、金剛界曼陀羅は「金剛頂経」によって描かれ、衆生の「知」を示すという。どういうわけか、日本ではこの2つのマンダラが一対のものとされている。 この両界曼陀羅を密接不可分の存在とする考えを、「金胎不二」、または「二而不二」(ににふに)といい、密教界の一大通説となっている。 わたしは、こう考える。根本的には、単一のマンダラを、二通りに描いたものだ。だから、理屈以前に1つのでなくてはならない。しかし、二幅で描かれているマンダラはメリットもあるだろう。単一であるが複合した相と相応して、これを一幅で描くことより、二幅で見た
ほうがより総合的であり、理解を深めるかもしれない。
胎蔵という意味は、仏の慈悲が無限に「流出」するという意味をもち、一切の生は一つの永遠なる光の場に依存する。それは、慈悲であり、愛であるゆえに、「胎」はそういった母なる原理を示し、一方、金剛界は不変的な男性原理を示す。私たちが「母の体内にいたときの無意識」が、それを受け、安らかに息ずいていたことを連想させ、胎蔵界曼陀羅は慈愛に満ちた仏の世界を示し、それが大悲胎蔵生曼陀羅とも呼ばれる所以だといわれる。
大悲胎蔵生曼陀羅、それは、仏の加護の本質そのままであり、「真実な知恵」という意味で、「般若の曼陀羅」という。「般若」の語源はヒンヅーイズムで、シャクティのことで、これは女性を表す。チベットの無上ヨーガタントラはヒンズーイズムや土着のボン教と融合して発展してきたといわれている。ボン教は女性崇拝思想が濃い。たとえば、あの女性を抱く合体尊、つまり、ヤブユム像は後期密教の著しい特徴だが、こうした合体尊は、合一と永遠性を象徴している。根本的に男性原理と女性原理が合一したところに主尊が存在するわけである。
日本の密教では、どちらかというと胎蔵界曼陀羅を重視する傾向があるといわれている。しかし、こうした、二様の曼陀羅を、それぞれ区別して重用するのは、いわゆる分別する意識を生みだす。金剛界曼陀羅を表面意識に、胎蔵界曼陀羅を潜在意識に当てたり、また、金剛界曼陀羅を人間の側から、胎蔵界曼陀羅を仏の側からみた世界図とする考えなどである。 金胎が常に一つで、はじめて聖なる領域をつくるわけである。大楽は男女合一とすれば、二幅をもって聖なる領域となるわけであろう。そこで、もともとすべてをあわせもつ完全な調和に帰結するものを、二つに分けることは不可能といえる。そもそも、金胎不二をそのまま受けとめれば、それは1つであるということを強調した事なになる。二つのマンダラを別々に論ずることにこだわらないほうがよいだろう。二つが一つになってはじめて意味をなすからである。
○チベットのマンダラは金剛界マンダラが主流
チベットのラダックにあるマンダラは、金剛界マンダラが圧倒的に主流を占めている。チベットでは、金剛界マンダラが、胎蔵マンダラを葬ってしまった。大日経より、成立の新しい金剛頂経が理論的にも実践的にも勝れていたかららしい。さらに、金剛頂経以後の密教ではヨーガ(暝想)によって、本尊と合一し、自分が本尊になりきって修法するという実践的観念が強くなったことも原因する。つまり、大日如来に自身が成り切ったとき生きながら成仏する。そういう願い、すなわち「即身成仏」の大悟を目指すことが流行したからだ。それに応じて、しだいに金剛界マンダラが暝想観法の主流となり、胎蔵界マンダラは衰退してしまった経緯がある。こうした事情は、ほんの20数年前から分かり始めてきたので、それ以前はチベットにマンダラがあることすら知られていなかった。
金胎不二に話を戻すと、金胎不二は中国特有の思想だったらしい。日本に持ち帰ったマンダラは、中国の風土と思想に洗練化された、言わば、恵果和尚のマンダラであった。中国は道教があり、新しいものが出てきても、古いものをそのまま残しておき、その上に新しいものを次々に積み上げていく傾向がある。そして、ほんとうに真理だと知ると大胆に取り入れて活用してゆく。そして、ついにはあたかも、もともと自分たちのものだったようにしてしまう。荘子(斉物論篇)には「両行」(ふたつながら行われる)という考え方がある。この2つのマンダラを止揚し、択一せずに理論的に昇華したらしい。実は、どちらにしろ、廃棄するには恐れ多かった・・・・実にもったいなかったのではないだろうか。806年に弘法大師・空海の持ち帰えられたマンダラは中国の絵仏師がこりにこって制作したマンダラだ。そのため、中国流になっているといっていいだろう。その大きな理由の一つは、インド、チベットと違って諸如来の身色(体から放つ色光)が消えてしまっていることを挙げざるをえない。純粋な色彩を残したチベットマンダラに強烈な印象をもつのはわたしだけではないだろう。